北島郷(読み)きたじまごう

日本歴史地名大系 「北島郷」の解説

北島郷
きたじまごう

中世の杵築大社(出雲大社)領一二郷のうちの一つ。北島村ともいう。康元元年(一二五六)一二月日の杵築大社領注進状(北島家文書)に北島村として一一町九段二四〇歩の面積が記され、うち神田二段六〇歩・寺田一段・給田一町二四〇歩・河成二四〇歩を除く残りの一〇町五段六〇歩が定田で、そのすべてが八斗代であった。古代の出雲郡神戸かんべ郷の内にあって、古代末期に国造出雲氏自身の手で開発が進められ、いったん国衙領として成立したのち、改めて杵築大社に寄進され、大社領の一角を構成するに至ったと考えられる。南北朝初期における国造家の分裂に際し、その一方が北島を称したのは、この地名に由来する。

北島郷
きたじまごう

吉野川河口近くの三角洲上、旧吉野川と今切いまぎれ川に挟まれた瓢箪形をした島状の標高三メートル以下の軟弱な沖積低地を占める。郷名は萱島かやしま庄の北に位置した島ということに由来するという(北島町史)。建仁元年(一二〇一)四月一〇日の預所下文案(紀伊続風土記葛原文書)によれば、「萱島御庄吉成北島住人等」に対して、藤原能村を山城石清水いわしみず八幡宮領萱島西庄下司職に加えて、「□□(吉成)・北島両郷」の下司職にも補任する旨を伝えている。正応二年(一二八九)七月一五日の石清水八幡宮堂達法師定文(榊葉集)によれば、翌三年七月一五日の菩薩戒会頭の乞戒宝樹預の一人として「萱嶋庄北嶋名主馬次郎」の名がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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