北村 久寿雄
キタムラ クスオ
昭和・平成期の水泳選手 日本マスターズ水泳協会会長;元・住友セメント専務。
- 生年
- 大正6(1917)年10月9日
- 没年
- 平成8(1996)年6月6日
- 出生地
- 高知県高知市
- 学歴〔年〕
- 京都帝大法学部政治学科〔昭和16年〕卒
- 主な受賞名〔年〕
- ヘルムス・ワールド・トロフィ〔昭和7年〕,朝日体育賞(昭8年度),紫綬褒章〔昭和43年〕,勲三等瑞宝章〔平成3年〕
- 経歴
- 旧制高知商3年の昭和7年、ロサンゼルス五輪の男子1500メートル自由形で金メダルを獲得。8年8月明治神宮競泳場における1000メートル自由形で世界記録を樹立。大学卒業後は一線を退き、22年労働省入省。中労委事務局次長、41年労働大臣官房審議官、42年公労委事務局長を歴任し、43年退官。その後住友重機械工業取締役となり、48年常務、53年住友セメントに転じ、54年常務、56年専務、57年退任。一方、東京五輪では日本水泳連外国委員長を務め、59年日本マスターズ水泳協会会長に就任。同年4月に開かれた第1回国際マスターズ大会、60年8月の第1回世界マスターズゲームズにも出場。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
北村久寿雄
きたむらくすお
[生]1917.10.9. 高知
[没]1996.6.6. 東京
水泳選手。 1932年8月,高知商業学校3年生のときにロサンゼルス・オリンピック競技大会の 1500m自由形に出場,19分 12秒4のオリンピック新記録で優勝した。 14歳と 309日での優勝は,いまだにオリンピック個人種目 (水泳以外も含む) の男子最年少金メダリストとして記録に残る。この大会で,日本選手が競泳男子6種目中5種目の金メダル獲得という快挙を成し遂げた。翌 1933年には世界記録にあと0秒8に迫る日本記録を出したが,旧制第三高等学校受験に失敗したため引退。1年浪人の末入学を果たし,1941年東京帝国大学法学部を卒業。三井物産に入社後,労働省に移り中央労働委員会事務局次長,公共企業体等労働委員会事務局長を歴任。退官後は住友重機工業,住友セメントの役員を務めた。 1964年東京オリンピック競技大会で日本水泳連盟外国委員長を務め,のちに同連盟の常務理事・競泳委員長。 1984年には日本マスターズ水泳協会会長に就任した。 1932年ヘルムス賞受賞,1991年勲三等瑞宝章受章。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
北村久寿雄 きたむら-くすお
1917-1996 昭和-平成時代の水泳選手,指導者。
大正6年10月9日生まれ。高知商業在学中,14歳10ヵ月の最年少選手として昭和7年ロス五輪に出場し,1500m自由形で金メダル。22年労働省にはいり,公労委事務局長などを歴任。日本水泳連盟常務理事,日本マスターズ水泳協会の初代会長などをつとめた。平成8年6月6日死去。78歳。高知県出身。東京帝大卒。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
北村 久寿雄 (きたむら くすお)
生年月日:1917年10月9日
昭和時代;平成時代の水泳選手;官僚。日本マスターズ水泳協会会長;住友セメント専務
1996年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の北村久寿雄の言及
【水泳】より
… 現在オリンピック大会では男子は50m,100m,200m,400m,1500m,400mリレー,800mリレー,女子は50m,100m,200m,400m,800m,400mリレー,800mリレーの合計14種目の自由形レースがある。1500mは日本選手に縁が深く1932年の第10回ロサンゼルス大会で14歳の北村久寿雄が金メダルを獲得したのをはじめ,第2次大戦直後には古橋広之進,橋爪四郎が泳ぐたびに世界記録を書き換えた。その後も山中毅がオリンピックで名勝負を演じている。…
※「北村久寿雄」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」