北黒田村(読み)きたくろだむら

日本歴史地名大系 「北黒田村」の解説

北黒田村
きたくろだむら

[現在地名]松前町北黒田

現松前町の西南端、伊予灘に面し、南は現伊予市に接する。江戸時代は村内に大洲おおず道が通じ三〇〇本余の松並木が両側に並び「牛飼原うしこがはらの松」として知られていた。古くは岡田おかだ郷黒田の里とよばれていた。この地域一帯は湿地肥沃なため土が黒いので黒田の地名が生れたと思われる。

正平二三年(一三六八)六月に九州の宮方に投じていた河野通尭が帰国し、松前浜から国人三〇〇余騎を率いて武家方の宍草(完草とも)入道らの軍を撃破するが、「予陽河野家譜」によると通尭軍のなかに黒田衆の名がある。


北黒田村
きたくろだむら

[現在地名]河芸町北黒田

赤部あかぶ村の南西に隣接する村で、緩やかな丘陵に挟まれて、耕地北西から南東へ続く中央部に集落がある。南黒田村とともに古代黒田郷の名を負う村で、「神鳳鈔奄芸あんげ郡の項に「外宮籾一石北黒田御厨」と記されている。ところが、「神宮雑書」に収める建久七年(一一九六)正月二三日付の二宮庁宣には「可早尋子細令言上、林御厨内北黒田郷検校清原末友訴申、為字民部大夫藤原遠景私用事」とある。このはやし御厨は奄芸郡西端の林村(現芸濃町)に比定されるもので、当村とは直線距離にして一〇キロを隔てており、いささか奇異な感があるが、北黒田村宝幢ほうどう院旧蔵の応永三年(一三九六)書写大般若経奥書(北黒田区所蔵「大般若経記録」所引)にも「勢州安芸郡林庄北黒田村」との記載があって、北黒田と林御厨または林庄とのかかわりは一時的なものでないことをうかがわせる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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