「総鹿(か)の子(こ)」ともいわれている絞り染めで、「匹田絞り」を略して通常「匹田」という。絞り染めは染色技法のなかでもっとも素朴である。そのなかでさらに素朴な技法が鹿の子絞りの類(裂地(きれじ)をつまんで糸でくくって防染し、染液に浸(つ)け、水洗、乾燥して、くくり糸を解き文様表出をする)で、それらは世界の各地で自然発生的に行われ今日に至った。わが国では、この素朴性の最たる鹿の子絞りの一種が、技巧的にも文様構成上でも著しく発達し、裂地一面に絞りの粒が敷き詰められる匹田絞りの出現、全盛をみるに至った。
匹田の最古の遺品資料は、米沢(よねざわ)の上杉神社蔵「伝上杉謙信所用紅練緯地雪持柳繍胴服(べにねりぬきじゆきもちやなぎぬいどうぶく)」(重要文化財)の辻(つじ)が花染めの襟部分にみられる。匹田絞りは、粒のくくり方に特徴があり、裂の織り目に対し45度斜めにくくり進めていくのが特徴で、古くは技術者が手加減で粒をそろえて絞っていったものだが、現在では型紙を用いて青花(あおばな)でつけた標(しるし)をたどってくくっていく。現在、京都地方では、道具は用いないで、指先で裂を細かくつまみ、糸をかけてくくっているが、名古屋の有松・鳴海(なるみ)地方では、かぎ針のついた絎(く)け台状の道具を用い、それに青花標の中心をひっかけながら粒くくりを進めている。その糸は京都地方では生糸、有松・鳴海地方では木綿糸が用いられている。この絞りは、外見、感触ともに豪華で、ぜいたく品として扱われるのは今も昔も変わりなく、1683年(天和3)の「鹿の子法度(はっと)」では、当時の匹田絞りの発達と並んで婦女子の衣類のぜいたくさが知られる。この「鹿の子法度」というのは、その年発令された金紗(きんしゃ)、縫(ぬい)、この総鹿の子などの婦女子の衣類禁制の代名詞になっているくらいで、その前後約200年間における数多い奢侈(しゃし)禁止令のうち、もっとも有名である。「型匹田(かたひった)(摺匹田(すりびった))」というのは、匹田絞りの模様を型紙を用いて摺り込み技法で表すもので、そのなかには最後の仕上げで、裂を裏から棒で突いて(蝋盤(ろうばん)という蝋を分厚く置いた板の上に裂を置き、棒で突く方法が現在も残っている)匹田模様の一粒一粒に、絞りの匹田と同じような凸凹を打ち出していく方法があり、これになると、精巧なものには、よく見ない限り絞りの匹田と見分けのつかないものがある。この型匹田の発達には、奢侈禁止令も関係があるといわれている。
[神谷栄子]
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