医学典範(読み)いがくてんぱん

日本大百科全書(ニッポニカ)「医学典範」の解説

医学典範
いがくてんぱん

医学書。イスラムの哲学者・医学者のイブン・シーナーの著。全5巻。執筆年不詳。ギリシアアラビア医学を基本とし、アリストテレスガレノスの所説に従って論じている。まず医学の定義および本務を説いたのち、原素説、体液説を紹介、器官の構造、機能を述べ、病気の原因、症候、脈拍、検尿(けんにょう)について述べている。続いて各種の食療法、体操、病気予防法、治療の一般、身体各部の病気、熱病、外科疾患、毒物学、整容術、皮膚病、解毒薬、複合薬などの諸項目について詳論している。全体的によく整った文でつづられ、ヒポクラテス、ガレノス以来の医学の知識を集大成したこの書は、それまでの他の医学書を圧倒し、12世紀にはラテン語訳にされ、17世紀なかばまで西ヨーロッパの医学の規準になった。しかしその反面、臨床観察を軽視し、また独創的な研究を妨げるなど、弊害をもたらしたことも事実である。

[大鳥蘭三郎]

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百科事典マイペディア「医学典範」の解説

医学典範【いがくてんぱん】

《医学正典》《医学規範》などとも。アラビアの医学者イブン・シーナーによって1020年ごろに刊行されたものといわれる。ヒポクラテス,ガレノスなどの学説を継いだギリシア・ローマ医学を集大成し,体系化したもの。11―12世紀の大翻訳運動によってヨーロッパにもたらされ,17世紀に至るまで権威を保った。

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旺文社世界史事典 三訂版「医学典範」の解説

医学典範
いがくてんぱん

イブン=シーナー主著
ギリシア医学を基礎としたアリストテレスの方法論で,中国までも含む世界各地の医学を総合したもの。11世紀に成立し,12世紀にはラテン語に訳され,以後西欧各地に伝播し,西欧医学の基本書とされた。

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世界大百科事典 第2版「医学典範」の解説

いがくてんぱん【医学典範 al‐Qānūn fī al‐ṭibb】

11世紀に成立したイブン・シーナーの主著でイスラム医学の最高権威書。グルガーンハマダーン等イラン各地の宮廷で典医として活躍した著者が公務の合間に,弟子のジューズジャーニーJūzjānīらとまとめた教科書的典範。イスラムの精神に基づき,ヒッポクラテス,ガレノス以来の成果を,アリストテレスの方法をもって統一した書物。5巻から成り,第1巻は概論で医学の定義と課題に始まり,解剖学,生理学,病理学,診断学,養生法,治療法に及ぶ。

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世界大百科事典内の医学典範の言及

【イブン・アンナフィース】より

…ヒッポクラテス,フナイン・ブン・イスハーク,イブン・シーナーの注釈書を著す。重要なものは《医学典範》の2種の注で,一つは《典範要綱》,とくにそのラテン語訳の《Compendium medicinae》が知られる。他の一つは《イブン・シーナー解剖学注解》で,この書で彼は〈右心室と左心室との間にある目に見えぬ隔壁の隙間より血液が流れる〉というガレノス以来の誤りを退け,16世紀のセルベトゥスに先立って正しい肺循環の考えを提起した。…

【イブン・シーナー】より

…また形而上学,医学の著書は,中世,西欧にラテン語訳され,トマス・アクイナスの存在論・超越論に大きな影響を与えた。その医学書《医学典範》は17世紀ころまで西欧の医科大学の教科書に使用されていた。哲学上の主著は《治癒の書》。…

【解剖学】より

…その間,ギリシア,ローマの医学はアラビア人にひきつがれて命脈を保っていた。イブン・シーナー(アビセンナ)は《医学典範》を著し,ギリシア,ローマ医学の伝統をもつアラビア医学を集大成している。 地中海を経てアラビア文明がトレド,シチリア島,ベネチアなどからヨーロッパに流入するようになるのは11~12世紀ころからである。…

※「医学典範」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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