フレクスナー(読み)ふれくすなー(英語表記)Simon Flexner

日本大百科全書(ニッポニカ) 「フレクスナー」の意味・わかりやすい解説

フレクスナー
ふれくすなー
Simon Flexner
(1863―1946)

アメリカの医学・細菌学黎明(れいめい)期の指導者の一人。ルイビル大学卒業、ジョンズ・ホプキンズ大学学位を取得。ストラスブールベルリンプラハの各大学およびパリのパスツール研究所に留学した。1895~1898年ジョンズ・ホプキンズ大学準教授、1899年ペンシルベニア大学病理学教授。その後フィラデルフィア大学教授を経て、1903年以降ロックフェラー研究所の研究部長、研究所長を務めた。この研究所は今日のロックフェラー大学前身で、その創立と医学研究所としての発展に大きく貢献した。野口英世(のぐちひでよ)の恩人としてよく知られる。1899年(明治32)春、フィリピンでの赤痢病原調査に赴く途中、志賀潔(しがきよし)を訪問したが、このとき野口は通訳をつとめた。フレクスナーはフィリピンで新種赤痢菌学名Shigella flexneri)を発見した。1900年突然訪ねてきた野口を助手にし、以降、野口が死去するまで陰に陽に支援し続けた。

藤野恒三郎 2018年10月19日]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「フレクスナー」の意味・わかりやすい解説

フレクスナー
Flexner, Abraham

[生]1866.11.13. ルイビル
[没]1959.9.21. フォールズチャーチ
アメリカの医学教育の大家で,プリンストン高等研究所の創立者。 S.フレクスナーの弟。 1890年ルイビルに進歩的な大学進学予備校を設立し,1904年まで理事をつとめる。 08年『アメリカの大学-一つの批判』 The American College: A Criticismを発表,これが契機となってカーネギー財団委託を受け,155の医学系大学の調査を実施,その他各大学の調査,改良に努めた。また 13~28年のロックフェラー財団在任中は民間寄金をアメリカの医学教育に注ぎ込み,その改善に尽した。 30年『アメリカ,イギリス,ドイツの大学』 Universities: American,English,Germanを著わし,特にドイツと比較してアメリカの大学に批判を加えた。同年模範的な高等研究施設をつくりたいという長年の希望を実施して,プリンストン高等研究所を設立し,世界的に卓越した科学者を集めた。

フレクスナー
Flexner, Simon

[生]1863.3.25. ケンタッキー,ルイビル
[没]1946.5.2. ニューヨーク,ニューヨーク
アメリカ合衆国の病理学者。1889年ルイビル大学で学位をとり,ヨーロッパに渡ってパスツール研究所などで研究,1895年からジョンズ・ホプキンズ大学病理学教授,1899年ペンシルバニア大学病理学教授。1903年,ニューヨークにロックフェラー研究所を創設するにあたって最初からその計画にあずかり,設立後,初代研究部長,1920~35年には同所長を務めた。赤痢菌の一種であるフレクスナー菌の発見,野口英世との蛇毒の共同研究,脊髄膜炎の治療血清の完成,小児麻痺ウイルスの培養の成功などの業績を残した。

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