( 1 )[ 一 ]②については千句全般にわたっての規制があるのに対して、「十百韻」の場合は、単に百韻を十巻重ねたものをいう。
( 2 )二条良基「筑波問答」(一三五七‐七二)には「後鳥羽院建保の比より、白黒又色々の賦物の独連歌を、定家・家隆卿などに召され侍りしより、百韻などにも侍るにや」とあって、[ 一 ]②もこのころから試みられたと考えられる。
( 3 )「菟玖波集」の詞書には、正和元年(一三一二)三月の千句などの例があり、千句十巻すなわち百韻百巻の「万句」についても、元応二年(一三二〇)春の例がある。
…連歌ははじめ2句の唱和からしだいに連続する句数が増えていったが,1200年前後に100句の形式が成立したらしい(現存資料では《明月記》正治2年(1200)9月20日の記事がもっとも古い)。13世紀以後,連歌の基本的形式となり,これを10かさねて千句,千句を10かさねて万句という型式も生まれた。江戸初期の貞門,談林時代の俳諧は百韻の形式によって連句を制作したが,蕉門が確立するに従って〈歌仙〉形式に移行するに至った。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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