( 1 )聯句(れんく)において、中古末期に百韻という形式が確立し、その影響を受けて連歌にも用いられたとみられる。その後、連歌・俳諧の興隆により、もっぱら連俳のものを指すようになった。
( 2 )「五十韻」「千句」等の形式もでき、俳諧では「歌仙」(三六句)、「世吉(よよし)」(四四句)等も行なわれたが、連俳ともに百韻を基本形式とする。
連歌や俳諧で,5・7・5の長句と7・7の短句を交互に連ねて100句に至る形式のもの。〈百韻〉とは,中国の聯句(れんく)からの影響とされる。連歌ははじめ2句の唱和からしだいに連続する句数が増えていったが,1200年前後に100句の形式が成立したらしい(現存資料では《明月記》正治2年(1200)9月20日の記事がもっとも古い)。13世紀以後,連歌の基本的形式となり,これを10かさねて千句,千句を10かさねて万句という型式も生まれた。江戸初期の貞門,談林時代の俳諧は百韻の形式によって連句を制作したが,蕉門が確立するに従って〈歌仙〉形式に移行するに至った。
百韻の記載には歴史的に種々の方式があったらしいが,一般的には,懐紙4枚を用い,それぞれ,初折,二の折,三の折,名残(なごり)の折と名付け,初折の表に8句,裏に14句,二の折と三の折はともに表裏14句ずつ,名残の折は表に14句,裏に8句を書く句割である。最初の3句を〈発句〉〈脇(脇句)〉〈第三〉,最後の句を〈挙句(あげく)〉とよぶ。百韻の構成には種々の約束事があり,月の句,花の句などを詠むべき位置(定座)や回数などは連歌,連句の式目とかかわりつつ規定されている。ただし,それについても歴史的変遷があって必ずしも一様でない。
執筆者:奥田 勲
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連歌(れんが)・俳諧(はいかい)の作品形式で、百句のまとまりをいう。五・七・五の長句と七・七の短句を交互につけて合計百句となるもの。名称は漢詩の聯句(れんく)に由来するので、韻は踏まないが百韻という。最初の3句を、発句(ほっく)・脇(わき)(句)・第三とよび、最後の百句目を挙句(あげく)(または揚句)とよぶ。一般的な書式では、懐紙4枚を用い、初折表(しょおりおもて)8句・裏14句、二の折、三の折はそれぞれ表裏とも14句ずつ、名残(なごり)の折表14句・裏8句を記す。千句、万句などの作品も百韻を基本単位とする。13世紀初めごろに記録がみえるが、平安時代後期にはすでに用いられていた形式と考えられ、以後中世末期までもっとも一般的な形式であったが、連歌が俳諧に移行するにしたがって、歌仙(36句)の形式が優勢になった。
[奥田 勲]
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…一人の作者が詠み通す場合(〈独吟〉という)もある。また100句(〈百韻(ひやくいん)〉という)を10回連作して〈千句〉とすることも多い。
[成立]
記紀歌謡のヤマトタケルと御火焼之老人(みひたきのおきな)との片歌による問答(5・7・7/5・7・7)を連歌の起源とする立場が古来あり,〈新治(にいばり)筑波を過ぎて……〉というヤマトタケルの歌から,〈筑波の道〉が連歌の別称となった。…
※「百韻」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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