午砲(読み)ゴホウ

デジタル大辞泉 「午砲」の意味・読み・例文・類語

ご‐ほう〔‐ハウ〕【午砲】

正午を知らせる合図大砲東京では明治4年(1871)に始まり、昭和4年(1929)にサイレンに代わるまで用いられた。その音から「どん」と俗称された。

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精選版 日本国語大辞典 「午砲」の意味・読み・例文・類語

ご‐ほう‥ハウ【午砲】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 正午を知らせる号砲。明治四年(一八七一)に始まり、昭和四年(一九二九)サイレンにきりかえられるまで、江戸城旧本丸で毎日正午の合図に打った空砲をいう。どん。
    1. [初出の実例]「千悔、万悔、臍を噬んでゐる胸元を貫くやうな午砲の響」(出典:浮雲(1887‐89)〈二葉亭四迷〉三)
  3. ( 転じて ) 正午。お昼。
    1. [初出の実例]「白日天に中して万戸に午砲(ゴハウ)の飯を炊ぐとき」(出典虞美人草(1907)〈夏目漱石〉一五)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「午砲」の意味・わかりやすい解説

午砲
ごほう

正午を知らせる号砲。兵部省で計画され、1871年(明治4)9月2日から、皇居内に正午所を設けて近衛(このえ)砲兵が空砲を放った。その音声により「ドン」と俗称されて一般に親しまれ、東京以外の仙台名古屋大阪、熊本その他の師団司令部でも行われたが、軍備縮小により1922年(大正11)9月15日限りで廃止された。午砲にかわるものとして、1929年(昭和4)からサイレンが登場した。

[佐藤農人]

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