南北首脳会談(読み)なんぼくしゅのうかいだん

共同通信ニュース用語解説 「南北首脳会談」の解説

南北首脳会談

韓国の金大中キム・デジュン大統領と北朝鮮金正日キム・ジョンイル総書記(いずれも当時)が2000年6月13~15日、平壌ピョンヤンで初の首脳会談を行い、南北共同宣言に署名した。宣言は民族自主や当局間対話の必要性、離散家族再会、各分野での交流活性化などをうたい、南北関係は画期的に改善。金大統領は同年12月にノーベル平和賞を受賞した。その後、盧武鉉ノ・ムヒョン大統領(当時)も07年10月に金総書記と、文在寅ムン・ジェイン大統領は18年4月以降、金正恩キム・ジョンウン朝鮮労働党委員長と会談を重ねている。(ソウル共同)

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知恵蔵 「南北首脳会談」の解説

南北首脳会談

大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の首脳による公式な会談。2000年以降18年5月までに4回開催された。朝鮮戦争以降南北に分断された南北両国の首脳が直接会って話すことで、相互の理解を深め、平和的な関係を深めることなどを目指している。
1950年に、米ソや中国を巻き込んで朝鮮戦争が起こり、53年には板門店で、国連軍と朝鮮人民軍中国人民志願軍との間に休戦協定が結ばれた。この協定では「戦争行為と武力行使の停止」を定めてはいるが、平和条約は成立しておらず軍事境界線を挟んで現在もなお停戦中という状態にある。このため、しばしば南北間で小規模な衝突などが発生し、韓国から米軍は撤退せず、北朝鮮は核兵器開発を進めるなど緊張関係が続いている。
南北の首脳会談は、90年代の半ばに韓国の金泳三(キム・ヨンサム)大統領と、当時存命中だった北朝鮮の金日成(キム・イルソン)主席の間で行われることが予定されたが、金主席の死去で中止になった。実際に第1回の南北会談が行われたのは2000年で、北朝鮮の首都平壌(ピョンヤン)で韓国の金大中(キム・デジュン)大統領と北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)総書記が史上初めての会談を行った。和解と統一、緊張緩和と平和、統一の構想についての共通性の確認などをうたった南北共同宣言が出され、南北間の雪解けモードが進んだ。07年には、平壌で第2回会談が盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領と金正日総書記によって行われ、朝鮮戦争の終戦宣言と平和協定の締結を目指すことなどを内容とする宣言が採択された。北朝鮮の指導者が金正恩(キム・ジョンウン)委員長になってから、18年4月27日に韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領と第3回会談が行われた。会談場所は、両国の分断を象徴する板門店(パンムンジョム)の韓国側施設「平和の家」で、北朝鮮首脳が韓国側に入ったのは史上初である。朝鮮半島の「完全な非核化」実現を目標に掲げた「朝鮮半島の平和と繁栄、統一に向けた板門店宣言」が署名され、年内にも朝鮮戦争を終結させるとした。このときは、秋に文大統領が平壌を訪問するとされていたが、同年5月26日には第4回会談が板門店の北朝鮮側施設「統一閣」で行われた。これは、トランプ米大統領が同年6月に予定されていた米朝首脳会談について、中止の意向を示したことなどをうけたものと見られる。会談では板門店宣言の履行などと共に米朝首脳会談について話し合われた。文大統領は、「北朝鮮が完全な非核化を決断し実践するならば、米国には敵対関係の終焉(しゅうえん)と経済協力についての確固たる意志がある」と伝えたという。
なお、米朝首脳会談は、同年3月に北朝鮮のメッセージを韓国が仲介して米国に伝える形で開催が決まった。その後の米朝双方の当局者による非難の応酬などにより、同年5月24日になって米国から中止するとの書簡が北朝鮮に送られた。こうして米朝首脳会談の実現が危ぶまれたものの、数日後の第4回会談をはさんで予定通りの開催が報じられ、同年6月12日に史上初の米朝首脳会談が行われた。

(金谷俊秀 ライター/2018年)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「南北首脳会談」の意味・わかりやすい解説

南北首脳会談
なんぼくしゅのうかいだん

2000年6月 13~15日,朝鮮民主主義人民共和国 (北朝鮮) のピョンヤン (平壌) で行われた大韓民国 (韓国) のキム・デジュン (金大中) 大統領と北朝鮮最高指導者であるキム・ジョンイル (金正日) 労働党総書記による直接会談。同年4月に両国特使がペキン (北京) で行なった非公開会談で合意されたもので,第2次世界大戦後,南北に分断された両国の首脳による初の直接対話となった。首脳会談の結果,両国首脳は,(1) 統一問題の自主的解決,(2) 統一案をめぐっては韓国の連合制案と北朝鮮の連邦制案に共通性を認める,(3) 離散家族訪問団の交換と人道的問題の解決,(4) 経済協力を通じた民族経済の発展と,社会や文化,スポーツなどの分野における協力と交流の活発化,(5) 合意事項を早期実現するための対話の開始,からなる5項目の南北共同宣言に署名した。さらにキム・ジョンイル総書記が適切な時期にソウルを訪問することも合意された。北朝鮮の核・ミサイル開発問題,在韓米軍の撤収問題など安全保障面においては課題も残されたが,南北の和解と統一を目指し,緊張緩和をもたらすこの会談により,東アジアの冷戦構造にも変化の兆しがみえはじめた。なお,94年6月北朝鮮を訪れた J.E.カーター元アメリカ大統領が南北首脳会談の開催を提案し,当時主席であったキム・イルソン (金日成) は受入れたものの,翌月同主席が死去したために実現しなかったという経緯がある。

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