日本大百科全書(ニッポニカ) 「南部アフリカ開発共同体」の意味・わかりやすい解説
南部アフリカ開発共同体
なんぶあふりかかいはつきょうどうたい
Southern African Development Community
略称SADC。南部アフリカ15か国が加盟する共同市場。旧称南部アフリカ開発調整会議Southern African Development Coordination Conference(略称SADCC)。
1980年4月、前線諸国(タンザニア、ザンビア、ボツワナ、モザンビーク、アンゴラ)、ジンバブエ、マラウイ、レソト、スワジランド(現、エスワティニ)の9か国がSADCCを結成。その目的として、(1)南アフリカ共和国経済支配からの脱却、(2)平等な立場での地域統合、(3)地域資源の動員、(4)国際協力の確保、を掲げ産業部門別の地域協力を通して地域全体の開発を進めることに合意した。機構は、首脳会議、閣僚会議、部門別委員会、常設事務委員会、事務局の5機関からなり、本部はボツワナの首都ハボローネ(ガボローネ)に置かれた。また年1回、国際金融機関、先進諸国と年次協議会を開き計画を提示し、援助を仰いだ。発足後5年間は、南ア共和国の不安定化工作により破壊された運輸・通信網の修復に力点が置かれたが、1986年以降、地域の生産拡大、域内貿易の拡大に重点が移された。1990年、独立したナミビアが加盟した。
1990年以降南ア共和国のデクラーク政権による民主化が進むなか、1992年8月の首脳会議で「南部アフリカ開発共同体に向けて」宣言を採択、全44か条からなる協定を締結し、より緊密な共同市場を目ざしてSADCに改組した。同時に冷戦終結により低下し始めた国際支援にかわり、地域の大国である南ア共和国の加盟を要請した。1994年4月、南ア共和国史上初の全人種が参加した選挙により樹立されたマンデラ政権は、同年8月正式にSADCに加盟、その後1995年にモーリシャス、1997年にコンゴ民主共和国とセイシェルがそれぞれ加盟した。
SADCの原則は加盟国間の公平・平等・互恵にあるが、この原則に基づき、1995年には「水利配分制度に関する議定書」「電力プールに関する政府間了解覚書」、1996年には今後8か年をかけて自由貿易地域を創設する「貿易議定書」が調印された。2016年時点の加盟国は、SADCC9か国にその後加盟したナミビア、南アフリカ、モーリシャス、コンゴ民主共和国、セイシェル、マダガスカルを加えた15か国。
このように南部アフリカの地域協力は進みつつあるが、同時に以下の問題も抱えている。第一は、地域大国南ア共和国とその他の加盟国との地域格差の問題である。マンデラ政権は従来の南ア共和国による地域覇権を否定しているが、現実的には格差解消はきわめてむずかしい。第二は、南部アフリカにあるほかの地域機構(東南部アフリカ共同市場Common Market for Eastern and Southern Africa〔略称COMESA〕、南部アフリカ関税同盟Southern African Customs Union〔略称SACU〕)との調整・再編問題であり、とくに性格を同じくし、かつ重複加盟しているCOMESAとの調整は急務である。第三は、冷戦終結により空白となった南部アフリカ地域の安全保障問題である。SADCは1996年の首脳会議で「SADC政治、防衛・安全保障のための機関」の設立に合意したが、この機関が今後、地域の紛争予防・解決にいかに機能していくかが課題として残されている。
[林 晃史 2018年8月21日]