日本歴史地名大系 「南風原村」の解説 南風原村へーばるむら 沖縄県:沖縄島中部勝連町南風原村[現在地名]勝連町南風原(はえばる)沖縄島中部東海岸、勝連(かつれん)半島の付根の部分に位置し、南は中城(なかぐすく)湾に面する。北東・東は与那城(ゆなぐしく)間切西原(にしはら)村(現与那城町)、北は具志川(ぐしちやー)間切具志川(ぐしちやー)村(現具志川市)。もとは勝連(かつれん)グスクの南方、中城湾に面した傾斜地(元島原)にあったが、雍正四年(一七二六)頃に北方の現在地に移ったようである(琉球産業制度資料)。地名も旧集落の位置による呼称という。絵図郷村帳に「はへ原村」とみえる。琉球国高究帳に南風原村とあり、高頭四四一石余、うち田二七八石余・畠一六二石余で、田作の優越する村であった。里積記には、浜崎(はまさき)村と併記され、田畑とも中の村位。南風原村の脇地頭は確認できない。ちなみに「中山伝信録」には勝連(かつちん)間切の所属村のうちに「勝連」と「南原」の二村が記される。勝連間切の間切同村は南風原村であるから古くは勝連(かつちん)(カッチン)村とも唱えたと推定される(南島風土記)。 南風原村ふえーばるむら 沖縄県:沖縄島南部大里村南風原村[現在地名]大里村大里(おおざと)西原(にしばる)村の北にある。フェーバル村とよぶ。絵図郷村帳に島添大里(しましーうーざとう)間切「はへ原村」、琉球国高究帳に同南風原村、「琉球国由来記」に大里(うーざとう)間切南風原村とみえる。同名村が豊見城(とうみぐすく)間切や勝連(かつちん)間切・越来(ぐいーく)間切(越来村に改称)にある。前掲高究帳によると高頭四五一石余、うち田三四五石余・畠一〇五石余。城(ぐすく)村(西原村)・平良(てーら)村の高も含むと思われる。「球陽」尚敬王二四年(一七三六)条によると、大里間切番所が与那原(ゆなばる)村(現与那原町)に移されている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by