印通寺浦
いんどうじうら
[現在地名]石田町印通寺浦
石田村の南部に位置し、南に開く浦は妻之島が天然の防波堤をなす静穏な泊地となっている。浦続きに君ヶ浦がある。「和名抄」に記される石田郡時通郷、また「延喜式」兵部省諸国駅伝馬条にみえる優通駅を当地に比定する説がある。地名は神功皇后が三韓出兵のときに臆して逃亡を図った王に怒って投げた矢がその王の胸を射通したことに由来するという伝説のほか、衣通姫社にかかわるとも、自積山印通寺にちなむともいう(壱岐国続風土記)。正平二四年(一三六九)の壱岐神領図(壱岐史拾遺)では西間の老松天神(現天満神社)の神領九四町のうちとして「印通寺浦」と記される。なお同年とされる壱岐国七社神領敷地定書(同書)では呼子氏の領知としてみえる。寛正三年(一四六二)六月日の志佐義証状写(三光譜録考鑑・壱岐郷土史)に石田郷のうちとして印通寺浦とあり、安国寺(現芦辺町)に寄進された同郷のなかで印通寺浦は除かれて従来どおり志佐義の知行となっている。「海東諸国紀」では壱岐一四浦の一つとして「因都温而浦四十余戸」と記される。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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