佐賀県北西部の東松浦半島(ひがしまつうらはんとう)と、その北方、長崎県壱岐島との間に広がる水域。その間の距離は20キロメートル余。東松浦半島北端の名護屋(なごや)城跡に立つと、遠くに壱岐島が、手前には、馬渡島(まだらしま)、加唐島(かからじま)、小川島、加部島(かべしま)など玄武岩をのせた台状の島々が望まれる。九州から壱岐、対馬(つしま)を経て朝鮮半島に至る最短コース上にあり、さらに東シナ海方面から北九州の玄界灘(げんかいなだ)に至る要路にあるため、古来朝鮮、大陸方面との交通の要衝をなした。加部島の田島神社や、松浦佐用姫(まつらさよひめ)伝説、元寇(げんこう)や松浦党水軍などそれを物語るものが多く、豊臣秀吉(とよとみひでよし)もまた朝鮮渡海の最前線基地を名護屋に設けた。小川島は近世、玄界捕鯨の基地として知られたが、今日は各水域でイカ、タイ、イワシ、ハマチ、ウニ、アワビ、真珠などの水揚げをみる。唐津東港から壱岐の印通寺(いんどうじ)港(壱岐市石田町)までフェリーボートが通い、水道の東西出入口の烏帽子(えぼし)島と、二神(ふたがみ)島には灯台がある。
[川崎 茂]
長崎県壱岐と佐賀県東松浦半島に挟まれた海域。壱岐海峡ともいう。その距離は最狭部で約20km。東シナ海と玄界灘を結ぶ要路で,13世紀後半には元の大軍がこの水道を通過した。また九州と朝鮮半島を結ぶ最短経路にあたり,大陸文化導入の重要な交通路で,16世紀末豊臣秀吉が朝鮮に出兵した折には,東松浦半島北端の名護屋(なごや)に本陣が置かれた。名護屋城跡から壱岐を望むとき,手前に馬渡(まだら)島,加唐(かから)島,小川島,加部島など玄武岩からなる台地状の島々が浮かび,一帯は玄海国定公園に指定されている。今日では東シナ海に出漁し,博多漁港や戸畑漁港などへ水揚げする多くの漁船の航路となっている。名護屋の東側にある呼子(よぶこ)港と壱岐印通寺(いんどうじ)港(壱岐市,旧石田町)との間にカーフェリーが通じていたが,現在は佐賀県唐津との間に変更となっている。
執筆者:竹内 清文
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