健康増進、避暑、レクリエーションとして海岸で水につかることである。現在では海で水泳をすることを海水浴というようになっているが、もとは健康回復や健康増進を目的として世界各国で昔から行われていた原始的な自然療法であった。日本でも古くから潮浴(しおあみ)、潮湯治(しおとうじ)などの名で医療のための海水浴が行われていた。
[笹島恒輔]
原始的医療法として海水浴が行われていたのであるが、18世紀なかばごろよりイギリスで、海辺の空気を吸い、きれいな海水を飲み、海水に浸ることの医療的効果が唱えられだした。人々は海水を飲み、腰まで水に入って終日立っていたのである。この海水浴のために水浴マシンbathing machineとよばれる車輪の大きな馬車がつくられ、その馬車を海に乗り入れ、馬車から海に入ったのである。人々は、海水浴が体のみならず精神の健康にも役だつということを知り、レジャーとしての海水浴へと発展していった。
日本でも鎌倉時代に源実朝(さねとも)(1192―1219)が鎌倉の海に入って病を治したことが『吾妻鏡(あづまかがみ)』に書かれており、歌人の鴨長明(かものちょうめい)が尾張(おわり)国大野の浜で海水を浴び、「生魚のみあへもきよし酒もよし、大野のゆあみ日数かさねむ」と詠んでおり、海水療法としての海水浴が行われていたことがわかる。日本において海水浴という用語が使用されたのは明治になってからである。海水浴という用語は外国語からの訳で、初めて使用したのは蘭方医(らんぽうい)の松本順(良順)といわれている。西洋医学を学んだ先覚者たちが、西洋医学に教えられて海浜療法、海水浴の効能を認めて公表し、実現の運びにさせたのである。1880年(明治13)に兵庫県須磨(すま)明石(あかし)海岸で、脚気(かっけ)にかかった大阪鎮台の兵士に療養のため海水浴をさせている。1881年には愛知県令(現在の知事)国直廉平(くになおれんぺい)は愛知病院長後藤新平に諮って、同県にある潮湯治の故地大野の千鳥浜海岸に小屋掛けをして海水浴場とした。軍医総監となった松本順は神奈川県大磯(おおいそ)町照ヶ崎海岸を理想の海水浴場として推薦し、1885年に海水浴場を開いた。照ヶ崎海岸は日本の海水浴場の明確な発祥の地とされている。また、長与専斎(ながよせんさい)は鎌倉を海水浴場とするように尽力した。このように日本の海水浴場は、医者によって海水療法の場所として開かれていったのである。
ところが、1890年代から神奈川県、千葉県の海岸に各学校の水泳部が設けられて水泳の練習を始めた。また、1917年(大正6)に警視庁が川の汚れを理由に隅田(すみだ)川での水泳を禁止したことにより、それまで隅田川にあった水練場が海に移動したこともあって、海水浴は海水療法という目的からしだいに水泳をすることというように変わっていった。その後各地の海浜に海水浴場が設けられていき、医療や保養のためでなく、水泳の目的のために利用する人々が多くなり、海水浴は日本ではもっとも大衆的な夏のレクリエーションへと発展していった。1970年代に入ると海水の汚染が激しくなったため、環境庁と厚生省は海水浴場としての適否を判定するための水質基準を定め、毎年関係自治体と協力して調査の結果を発表している(調査開始当初は厚生省も関係していたが、その後、国の機関としては環境庁の所管となり、2001年以降は省庁再編によって誕生した環境省の所管となった)。
[笹島恒輔]
海水浴はもともと海水療法から始まったものであるので、適当な注意のもとに行えば健康上に大なる効果を得ることができる。それは、転地による精神的な効果、海浜の新鮮な空気や、日光浴、水泳による運動などにより健康上の効果は大である。とくに水に入ったときの冷感と塩類の刺激による血管の収縮、水から出たときにおこる反応的充血の繰り返しは皮膚の鍛錬によく、また、日光の熱線、紫外線の作用で抵抗力を養うことができる。注意すべき点としては、海水浴中の新陳代謝の量はゆっくりと泳いでも平常の7、8倍になるので、健康な人でも運動が過度にならぬよう注意すべきである。そのためには入水時間も初めは短くしてだんだんと長くしてゆくべきである。
海水浴においては過度の日焼けとなることがある。わずかな露出時間でも海水に浸っていることで直射日光を受けると皮膚に火傷を受けて火膨れができたりする。日焼けを誇るために急に直射日光に当たることなどは避けるべきである。睡眠不足のとき、疲れのひどいとき、空腹や満腹のとき、酒を飲んだあと、汗をかいた直後などには泳ぐべきではない。また、ツベルクリン反応が自然陽転1年以内、結核系の病気の治療後まもない場合、耳の疾患、発熱中、心臓病、高血圧症、貧血症、糖尿病、腎臓(じんぞう)病、てんかんの人などは泳がないほうがよい。水に入る前には軽く準備運動をしてから入り、海水浴を終わったあとでは真水で全身を洗っておかなくてはならない。
[笹島恒輔]
避暑,レクリエーションなどを目的として海浜で行われる水浴。海水による沐浴(もくよく)の歴史は古く,旧約聖書にエジプト人の沐浴の記録があるが,18世紀の中ごろ,イギリスの医師R.ラッセルが,海浜の空気を呼吸し,海水に浸り,海水を飲むことの医療的効果を唱え,ブライトンの海岸に患者を集めて実行したのが近代の海水浴sea bathingの始まりとされる。その後しだいに医療目的を離れ,行楽娯楽として各地の海浜で盛んになった。日本でも古くから〈しおあみ(潮浴)〉〈しおとうじ(潮湯治)〉などの名で,医療のための海水浴が行われていた。鎌倉前期の歌人,鴨長明は,尾張大野の浜で海水を浴び,〈生魚のみあへもきよし酒もよし大野のゆあみ日数かさねむ〉と詠み,源実朝も鎌倉で医療のために海水浴をしたといわれる。日本で海水浴という用語(おそらく英語からの訳)を初めて用いたのは軍医総監松本順(良順)だが,1881年愛知県立病院長後藤新平が医療的効果を説いて,愛知県千鳥ヶ浜(もとの尾張大野)に日本最初の海水浴場を開き,85年には松本順らが神奈川県大磯の照ヶ崎海岸に海水浴場を開いた。その後各地の海浜で海水浴場を名のるところが増え,たんに医療や保養のためでなく,遊泳を目的に利用する人々が多くなり,海水浴は日本でもっとも大衆的な夏のレクリエーションとして発達した。しかし,1970年代になってから海水の汚染が激しくなったので,環境庁と厚生省は海水浴場としての適否を判定するため水質基準を定め,毎年関係自治体と協力して,大腸菌群数,COD(化学的酸素要求量),水素イオン濃度,透視度,油分などについて調査の結果を発表している。汚染により海水浴場としての適地はしだいに減少しているが,大都市に近い海水浴場では,海浜に大規模な人工プールを設けた商業レジャー施設の進出が目だっている。なお広義の海水浴として,海浜で行うスポーツには,サーフィン,スキンダイビング,遠泳などがある。
執筆者:川本 信正
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