原在中(読み)はらざいちゅう

改訂新版 世界大百科事典 「原在中」の意味・わかりやすい解説

原在中 (はらざいちゅう)
生没年:1750-1837(寛延3-天保8)

江戸後期画家。名は致遠,字は子重。臥遊とも号す。京都の酒造家に生まれる。石田幽汀について画技を学んだが,同門の円山応挙からも大きな影響を受け,山本探淵からは仏画の手ほどきを受けた。さらに京都の社寺に所蔵されていた中国画を意欲的に学び,古狩野土佐派も加味して原派を形成した。有職の画も得意とし,寛政度(1789-1801)造営御所の障壁画制作に参加。子孫宮廷との関係が深い。代表作に《渓流菊花図屛風》(醍醐寺),《松鶴波図襖》(建仁寺)がある。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

関連語 元昭 河野

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「原在中」の意味・わかりやすい解説

原在中
はらざいちゅう

[生]寛延3(1750).京都
[没]天保8(1837).11.28. 京都
江戸時代後期の画家。姓は原または平,名は致遠 (ちおん) ,字は子重,号は在中,臥遊。円山応挙に師事するとともに明画や土佐派の技法も研究し,精密で説明的な画風一家をなした。有職故実もきわめ,寛政2 (1790) 年に宮廷の障壁画を描いた。子孫も代々宮廷と関係が深く,この画系を原派と呼ぶ。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「原在中」の解説

原在中 はら-ざいちゅう

1750-1837 江戸時代中期-後期の画家。
寛延3年生まれ。石田幽汀(ゆうてい),のち円山応挙にまなんだという。明(みん)画,土佐派などを研究し,原派をおこした。有職(ゆうそく)にくわしく,寛政の内裏造営のとき応挙らと障壁画をえがく。作品に相国(しょうこく)寺の「補陀落(ふだらく)図」など。天保(てんぽう)8年11月15日死去。88歳。京都出身。名は致遠。字(あざな)は子重。別号に臥遊。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む