日本歴史地名大系 「厳照寺」の解説 厳照寺ごんしようじ 富山県:砺波市福岡芹谷野村厳照寺[現在地名]砺波市福岡福岡(ふくおか)地区の北西部、芹谷野(せりだにの)用水の東側にある。華蔵閣と号し、浄土真宗本願寺派。本尊は阿弥陀如来。永享一二年(一四四〇)の開闢という(貞享二年寺社由緒書上)。本願寺五世綽如三男周覚(越前荒川興行寺開基)の四男如順(西脇坊)の次男了勝(永禄元年卒)を開基とする(日野一流系図)。了勝は厳照寺と号する越前永平寺禅侶であったが、本願寺門流に帰り、天文二年(一五三三)一二月六日に本願寺証如を訪ねている(私心記)。また同一〇年三月一五日には本願寺座敷にて相伴にあい(天文日記)、同一四年八月二四日には井波瑞泉(いなみずいせん)寺賢心らとともに摂津石山本願寺にて朝食に召され(私心記)、同一八年七月一〇日の生霊会に越中一家衆とともに相伴している(天文日記)。同年一一月七日には絵像裏書を与えられたが、礼として進上した二〇〇疋は返却されている(私心記)。 厳照寺ごんしようじ 熊本県:菊池郡合志町竹迫町厳照寺[現在地名]合志町竹迫 屋敷医音(いおん)寺跡の南に近接する。白龍山と号し浄土真宗本願寺派。本尊阿弥陀如来。「国誌」に仏厳(ぶつごん)寺(現熊本市)末寺、慶長年中(一五九六―一六一五)了祐の開基とある。寛永一〇年(一六三三)の竹迫町人畜改帳に寺名がみえ、弟子を含めて家族四人、ほかに名子三人とその家族五人、下人二人、下女一人が記され、高四石七斗余、牛馬四、家数一三軒(御堂、本屋、かまや、へ屋、馬屋、名子家、蔵など)、屋敷畝数二反とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by