精選版 日本国語大辞典 「古先印元」の意味・読み・例文・類語 こせん‐いんげん【古先印元】 鎌倉末~南北朝初期の臨済宗の僧。薩摩の人。元に渡り、天目山の中峰明本に学んでその法を継ぐ。帰国後、恵林寺、円覚寺、建長寺、長寿寺などに住んだ。その門派を古先派と称する。永仁三~応安七年(一二九五‐一三七四) 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例 Sponserd by
朝日日本歴史人物事典 「古先印元」の解説 古先印元 没年:応安7/文中3.1.24(1374.3.7) 生年:永仁3(1295) 鎌倉後期・南北朝時代の臨済宗の禅僧。薩摩(鹿児島県)の人。俗姓は藤原氏。鎌倉円覚寺の桃渓徳悟について出家し,文保2(1318)年に入元した。杭州(浙江省)天目山の中峰明本に参じて法を嗣ぎ,金陵(南京)保寧寺の古林清茂などに学び,嘉暦1(1326)年に元僧の清拙正澄と共に帰国した。夢窓疎石に請われて甲斐(山梨県)の恵林寺に出世し,また山城(京都)三条坊門の等持寺の開山となった。次いで鎌倉の浄智寺,円覚寺,建長寺などに住した。この間,奥羽(福島県)須賀川の普応寺などを開いた。諡号は正宗広智禅師。<参考文献>玉村竹二『五山禅僧伝記集成』 (佐藤秀孝) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「古先印元」の解説 古先印元 こせん-いんげん 1295-1374 鎌倉-南北朝時代の僧。永仁(えいにん)3年生まれ。臨済(りんざい)宗。桃渓徳悟(とうけい-とくご)にまなぶ。文保2年(1318)元(げん)(中国)にわたり中峰明本(ちゅうほう-みょうほん)の法をつぐ。嘉暦(かりゃく)元年日本にまねかれた清拙正澄(せいせつ-しょうちょう)とともに帰国。甲斐(かい)(山梨県)恵林(えりん)寺,鎌倉円覚寺,建長寺などの住持をつとめた。応安7=文中3年1月24日死去。80歳。薩摩(さつま)(鹿児島県)出身。諡号(しごう)は正宗広智禅師。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by