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清拙正澄 セイセツショウチョウ

デジタル大辞泉の解説

せいせつ‐しょうちょう〔‐シヤウチヨウ〕【清拙正澄】

[1274~1339]中国、元代の臨済宗の僧。福州(福建省)の人。嘉暦元年(1326)来日。北条高時に信任され、建長寺建仁寺南禅寺などに住した。日本禅宗二十四派の一である清拙派、大鑑門徒の祖。諡号(しごう)、大鑑禅師。著「大鑑清規」など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

清拙正澄 せいせつ-しょうちょう

1274-1339 元(げん)(中国)の僧。
咸淳10年1月3日生まれ。臨済(りんざい)宗。北条氏の招きで嘉暦(かりゃく)元年来日,翌年鎌倉建長寺の住持となり,浄智寺,円覚寺をへて,勅命で京都建仁(けんにん)寺,南禅寺の住持をつとめる。また信濃(しなの)(長野県)の小笠原貞宗にまねかれ開善寺をひらく。暦応(りゃくおう)2=延元4年1月17日死去。66歳。福建省出身。俗姓は劉。諡号(しごう)は大鑑禅師。著作に「大鑑清規(しんぎ)」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

清拙正澄

没年:暦応2/延元4.1.17(1339.2.26)
生年:咸淳10.1.3(1274.2.11)
鎌倉末期から南北朝初期に活躍した臨済宗破庵派の来日禅僧。日本禅宗大鑑派の祖。福州(福建省)連江の劉氏の出身。母は孫氏。松源派の月江正印の俗弟。杭州(浙江省)浄慈寺の愚極智慧の法を嗣ぎ,袁州(江西省)の鶏足山聖因寺や松江(江蘇省)の真浄寺に住した。嘉暦1(1326)年に来日し,北条高時の招きで鎌倉建長寺に住し,禅規を刷新した。その後,浄智寺,円覚寺を経て後醍醐天皇の勅命で京都の建仁寺,南禅寺などに住し,信濃(長野県)守護の小笠原貞宗の招きで信濃伊賀良の畳秀山開善寺の開山となった。諡号は大鑑禅師。『清拙和尚語録』『大鑑清規』などがあり,清規(禅宗で守るべき規則)類は小笠原流礼法ともかかわるとされる。<参考文献>玉村竹二『五山禅僧伝記集成』

(佐藤秀孝)

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世界大百科事典 第2版の解説

せいせつしょうちょう【清拙正澄】

1274‐1339(文永11‐延元4∥暦応2)
鎌倉時代の臨済宗の僧。中国福州の人で15歳で出家し,浄慈寺の愚極智慧禅師の法をついだ。1326年(嘉暦1)来日し,北条高時の殊遇をうけて鎌倉の建長寺,浄智寺,円覚寺の住持を歴任,33年(元弘3)建武新政にあたって後醍醐天皇に招かれて上洛し,京都の建仁寺,ついで南禅寺の住持となった。38年(延元3∥暦応1)老病のため建仁寺の禅居庵に退いたが,足利尊氏懇望で南禅寺に再住し,その翌年禅居庵で示寂した。勅諡(ちよくし)大鑑禅師。

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大辞林 第三版の解説

せいせつしょうちょう【清拙正澄】

1274~1339) 鎌倉時代の臨済宗の僧。清拙派の祖。中国福州の人。1326年来日。北条高時に請われて鎌倉の建長寺・浄智寺に住し、のち建仁寺・南禅寺に歴住。諡号しごう、大鑑禅師。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

清拙正澄
せいせつしょうちょう
(1274―1339)

鎌倉末期に来日した臨済(りんざい)宗の僧。中国、福州(福建省)の人。俗姓は劉(りゅう)氏。諸師に参じたのち愚極智慧(ぐごくちえ)の法を嗣(つ)ぎ、1326年(嘉暦1)北条氏の招請で来朝。鎌倉の建長寺、浄智(じょうち)寺、円覚(えんがく)寺に歴住し、建長寺禅居庵(ぜんごあん)に退く。1333年(元弘3・正慶2)京都建仁寺へ移り、さらに南禅寺に昇住し、その後、小笠原貞宗(おがさわらさだむね)に請われて信濃(しなの)(長野県)開善寺1世となった。ふたたび禅居庵に退くが、勅により建仁寺に再住し、1339年(延元4・暦応2)正月17日に示寂した。大鑑禅師(だいかんぜんじ)と諡(おくりな)される。著書に『清拙和尚(わじょう)語録』『清拙和尚禅居集』『大鑑清規(だいかんしんぎ)』『大鑑小清規』がある。[中尾良信]

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367日誕生日大事典の解説

清拙正澄 (せいせつしょうちょう)

生年月日:1274年1月3日
鎌倉時代後期;南北朝時代の臨済宗破庵派の渡来禅僧
1339年没

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世界大百科事典内の清拙正澄の言及

【漢詩文】より

…当時,中国には笑隠大訢(しよういんたいきん)という禅僧が出て,禅四六の作法を一定し,これを〈蒲室疏法(ほしつそほう)〉と称したが,中巌円月,絶海中津はこの法を体得した。またこの時代には,清拙正澄(せいせつしようちよう),明極楚俊(みんきそしゆん),竺仙梵僊(じくせんぼんせん)など,中国僧の来朝があり,これらの人の作品は,正真正銘の“漢”文だったので,五山文学中とくに光彩を放った。その後義堂周信,絶海中津も和様に流れることきわめて少なかった。…

※「清拙正澄」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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