古沢村(読み)ふるさわむら

日本歴史地名大系 「古沢村」の解説

古沢村
ふるさわむら

[現在地名]御殿場市古沢

塚原つかばら村の北東に位置する。矢倉沢やぐらさわ往還の竹之下たけのした(現小山町)から甲州道の須走すばしり(現同上)へ通じる脇道が通り、この道の継場的性格を有した。古くから交通の要衝で、中世には市(古沢市)が立ち、近世には関東方面からの富士参詣者のための宿場、あるいは一幣司浅間いつぺいしせんげん神社の門前集落として発展した。天文一一年(一五四二)九月二六日、小田原北条氏の家臣垪和又太郎は所領である「御厨之内古沢・北久原・小林・田中三ケ郷枝村共ニ」の反銭・棟別銭などを免除されている(「北条氏康判物写」垪和氏古文書)。永禄一〇年(一五六七)八月三日葛山氏元は「古沢之市」に立つ諸商人は茱萸沢ぐみざわ二岡にのおか前・萩原はぎわら通行することを強制しており(「葛山氏元朱印状」芹沢文書)当地で三斎市、あるいは六斎市といった定期市が開かれていたと考えられ、南隣の六日市場村はこの市に由来する村名ともいわれる。同一二年三月二八日、氏元は三輪与兵衛に「弐拾貫文 津田左近分古沢」などを与えている(「葛山氏元判物写」判物証文写)。なお大森・葛山系図(続群書類従)によると、惟康(藤原伊周の孫)の女子に「古沢領主古沢禅師十三而出家、琳慶」との注がある。

古沢村
ふるさわむら

[現在地名]富山市古沢

呉羽山くれはやま丘陵の南西麓の緩斜面境野新さかいのしん扇状地に位置する。婦負郡に属し、東は金屋かなや村、南は杉谷すぎたに村。地名は古の沼沢地を開いたことに由来するという(婦負郡志)。呉羽山丘陵麓に沿う古沢用水の開削により成立した。同用水は宝永三年(一七〇六)富山城下古鍛冶ふるかじ町の古沢屋仁右衛門が山田やまだ川からの取水を計画、一四年間自普請を行い、その後富山藩が引継いで完成した。取水口は蓮花寺れんげじ(現婦中町)で、同用水の開通により一千八三〇石が開かれた(古沢村開起源覚書「牛ヶ首用水通旧記」牛ヶ首用水土地改良区蔵)。富山藩領で、幕末の古高免小物成銀等書上によれば、杉谷・栃谷とちたに北押川きたおしかわ花木はなのき吉作よしづくり高木たかぎ住吉すみよしの七ヵ村領のうちに成立したとされ、享保六年(一七二一)の村付高改帳(大場家文書)では高一千五〇〇石。

古沢村
ふるさわむら

[現在地名]酒々井すみ

墨村の東、高崎たかさき川中流左岸台地上に位置。天正一八年(一五九〇)一〇月の松平伊昌知行書立に「ふつそう村」がみえ、当地にあてられる。慶長九年(一六〇四)に検地が行われており(文政七年「田畑反別帳」墨区有文書)、当時は幕府領。「寛文朱印留」には佐倉藩領として古沢村とあり、以後幕末まで同藩領。元禄郷帳では高五〇石余。寛延二年(一七四九)の佐倉藩領村高覚でも同高で、夫役永一四七文余・茶園代永四文・山銭鐚一貫八一〇文・同一貫一一八文。

古沢村
ふるさわむら

[現在地名]麻生区古沢

都筑つづき郡に属し、東は万福寺まんぷくじ村、西は五力田ごりきだ村、北は多摩郡平尾ひらお(現東京都稲城市)に接する。平尾村から入り東へ流れる神川を用水として利用。大久保おおくぼ入定塚にゆうじようづか・じょうはた・うしろだ・てらやとなどの小字がある。田園簿に村名がみえる。寛永元年(一六二四)旗本朝倉領。宝永二年(一七〇五)甲州道布田ふだ宿(現東京都調布市)の助郷村となり、助郷高六五石(「甲州道中布田五宿助郷村高帳」東京都石井文書)

古沢村
ふるさわむら

[現在地名]下妻市古沢

糸繰いとくり川右岸にあり、西は小島おじま村。永享七年(一四三五)八月九日の富有注文(続常陸遺文)に「下妻庄内古沢郷」とあり、下妻庄に属していた。寛永四年(一六二七)の古沢村年貢割付状(古沢家文書)によれば、村の田畑は上田五町余・中田四町八反余・下田七町余、上畑一五町五反余・中畑二二町八反余・下畑三五町余、屋敷一町三反余で、畑地が多い。元禄郷帳の村高は七三〇石余、幕末は旗本佐橋・榊原両氏領各一二〇石余、蜷川氏領一一九石余、岩瀬・土岐両氏領各一一八石余、高城氏領一一七石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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