古野 伊之助
フルノ イノスケ
昭和期の新聞人 同盟通信社長。
- 生年
- 明治24(1891)年11月13日
- 没年
- 昭和41(1966)年4月24日
- 出生地
- 三重県三重郡
- 学歴〔年〕
- 早稲田大学専門部政治学科〔大正2年〕中退
- 主な受賞名〔年〕
- 新聞文化賞(日本新聞協会)〔昭和38年〕
- 経歴
- 15歳で上京、米AP通信社東京支局で給仕などをして、早大専門部に学んだあと国際通信社に入社、北京、ロンドン各支局長を歴任。大正15年からは国際通信社を改組した連合通信社で専務理事・岩永裕吉を助ける。昭和10年に同盟通信社が設立されると、社長に就任する岩永とともに同社に移った。14年に岩永が死亡したあと2代目社長に就任。太平洋戦争中は大政翼賛会総務、貴族院議員などの要職に就きながら、国策通信社の社長として腕を振るった。戦後はA級戦犯容疑で収監されたが、間もなく無罪となり、追放解除後は電電公社経営委員長のほか時事通信社、電通、東京タイムズなどの重役を務める。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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古野伊之助
ふるのいのすけ
(1891―1966)
通信経営者。明治24年11月13日、三重県富田村(現、四日市(よっかいち)市)に生まれる。1909年(明治42)AP通信東京支局の給仕を振り出しに通信社記者の道を歩み、その間、国家代表通信社の必要を痛感し、岩永裕吉(ゆうきち)とともに通信自主権獲得のために尽力する。国際通信社(1914設立)、新聞聯合(れんごう)社(1926設立)を経て、1936年(昭和11)同盟通信社を設立、その意図を実現するとともに、戦時中は新聞統合に深く関与した。昭和41年4月24日没。
[春原昭彦]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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古野伊之助 ふるの-いのすけ
1891-1966 昭和時代の経営者。
明治24年11月13日生まれ。国際通信社北京支局長をへて,日本新聞連合社総支配人となる。昭和11年岩永裕吉と同盟通信社を設立し,14年社長。終戦で解散したが,後身の共同通信社,時事通信社の理事などをつとめた。昭和41年4月24日死去。74歳。三重県出身。早大中退。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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古野 伊之助 (ふるの いのすけ)
生年月日:1891年11月13日
昭和時代の経営者。同盟通信社長
1966年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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