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句践 こうせん

百科事典マイペディアの解説

句践【こうせん】

中国,春秋時代のの王(在位,前496年―前465年)。即位の直後,王闔閭(こうりょ)を破って国威をあげたが,前494呉王夫差(ふさ)に大敗(会稽の屈辱)。名臣の范蠡(はんれい)らに助けられ,嘗胆(しょうたん)して復興を図る。
→関連項目西施覇者范蠡

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世界大百科事典 第2版の解説

こうせん【句践 Gōu jiàn】

?‐前465
中国,春秋末の越の王。在位,前496‐前465年。父允常(いんじよう)以来隣国の呉とは宿敵の関係にあった。父の死後,践が立って呉王闔閭(こうりよ)を破ると,闔閭の遺命をうけた子の夫差は,2年後に句践を会稽山に下して父の仇に報いた(前494)。許されて帰国した句践は,范蠡(はんれい)らとともに臥薪嘗胆(がしんしようたん)して会稽山の恥を忘れることなく力を養って20年,ついに前473年に呉を討ってこれを滅ぼした。

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世界大百科事典内の句践の言及

【西施】より

…そうした伝説をまとめれば,西施は,姓は施,名は夷光,浙江省諸曁(しよき)の苧夢(ちよぼう)村の生れ。美人であったため,敗国の辱をすすごうとする越王句践(こうせん)が呉王夫差(ふさ)のもとに彼女を送りこみ,政治を怠らせようとした。呉王の寵を得ると,西施はさまざまな難題を要求して呉国を疲弊させた。…

【夫差】より

…在位,前496‐前473年。越王句践(こうせん)と檇李(すいり)(浙江省平湖県の西)で戦って敗死した父闔閭(こうりよ)の遺言をうけ,夫差は王位に即くと精兵を率いて越を夫椒(ふしよう)山に破った(前494)。句践が会稽(かいけい)山にたてこもり和を請うと,伍子胥(ごししよ)の諫言をきかずに助命した。…

※「句践」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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