西施(読み)セイシ(英語表記)Xī Shī

デジタル大辞泉 「西施」の意味・読み・例文・類語

せいし【西施】

中国春秋時代美女に敗れた越王勾践こうせんから呉王夫差献上され、寵愛ちょうあいを受けた。夫差が彼女の美しさにおぼれている間に呉は越に滅ぼされた。

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精選版 日本国語大辞典 「西施」の意味・読み・例文・類語

せいし【西施】

  1. 中国、春秋時代の越の美女。越が呉と会稽で戦って敗れると、越王勾践(こうせん)は西施を呉王夫差に献上した。夫差は西施の容色に溺れ、その隙をついて越は呉を滅ぼしたと伝えられる。西子生没年未詳。
    1. [初出の実例]「象潟や雨に西施がねぶの花」(出典:俳諧・奥の細道(1693‐94頃)象潟)

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改訂新版 世界大百科事典 「西施」の意味・わかりやすい解説

西施 (せいし)
Xī Shī

中国,春秋時代末,越国の美女。《荘子》など戦国諸子の書物の中にすでに美女の代表としてその名が見えるが,彼女の事跡が詳しく記されるのは《呉越春秋》など以後で,現在の民間伝説にいたるまで,その物語は時代とともにふくらんできた。そうした伝説をまとめれば,西施は,姓は施,名は夷光,浙江省諸曁(しよき)の苧夢(ちよぼう)村の生れ。美人であったため,敗国の辱をすすごうとする越王句践こうせん)が呉王夫差(ふさ)のもとに彼女を送りこみ,政治を怠らせようとした。呉王の寵を得ると,西施はさまざまな難題を要求して呉国を疲弊させた。呉が越に滅ぼされたあと,もともと情を通じていた越の賢臣范蠡(はんれい)とともに五湖に舟を浮かべて行方知れずになったという。西施の事跡は,彼女がきぬを洗った浣紗渓かんしやけい)(浙江省紹興の南,若邪渓(じやくやけい)とも)など,江南の風物と結びついて,詩歌にうたわれることが多い。
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普及版 字通 「西施」の読み・字形・画数・意味

【西施】せいし

春秋期、越の美女。美女の称。〔荘子、天運〕西施、心(むね)をみて其の里に(ひん)す(眉ひそむ)。其の里の醜人、見て之れを美とし、歸りて亦た心を捧(かか)へて其の里にす。其の里の富人之れを見て、堅く門を閉ぢて出でず、人之れを見て、妻子を挈(たづさ)へて、之れを去りて走れり。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「西施」の意味・わかりやすい解説

西施
せいし

生没年不詳。中国古代の美女。春秋時代末期、呉(ご)王夫差(ふさ)に会稽(かいけい)で敗れた越(えつ)王勾践(こうせん)は、仇敵(きゅうてき)である夫差が好色なのを知って、復讐(ふくしゅう)のため美女を献ずる策を思い付く。そして家臣范蠡(はんれい)が苧蘿(ちょら)山で薪(たきぎ)を売っていた美女西施をみいだして諸芸を教え、呉国へ送り込んだ。臣下伍子胥(ごししょ)が制止するのも聞かず、夫差は喜んで西施を迎えて溺愛(できあい)したために、呉国滅亡の一因をなしたと伝えられている。

 西施の名は、広く美女の代名詞としてその後も親しまれ、しばしば後世の詩人たちが詩中に詠み込んだ。

[桐本東太]

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百科事典マイペディア 「西施」の意味・わかりやすい解説

西施【せいし】

中国,春秋時代の越国の美女。苧蘿(ちょら)山の西の薪(たきぎ)売り女。会稽の屈辱ののち,前494年,句践(こうせん)の臣范蠡(はんれい)が呉王夫差(ふさ)に献上。夫差はこれを寵愛(ちょうあい)し,政を怠り国を滅ぼしたという。西施に関する故事・伝説は数多い。
→関連項目傾城

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