精選版 日本国語大辞典 「西施」の意味・読み・例文・類語
せいし【西施】
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中国,春秋時代末,越国の美女。《荘子》など戦国諸子の書物の中にすでに美女の代表としてその名が見えるが,彼女の事跡が詳しく記されるのは《呉越春秋》など以後で,現在の民間伝説にいたるまで,その物語は時代とともにふくらんできた。そうした伝説をまとめれば,西施は,姓は施,名は夷光,浙江省諸曁(しよき)の苧夢(ちよぼう)村の生れ。美人であったため,敗国の辱をすすごうとする越王句践(こうせん)が呉王夫差(ふさ)のもとに彼女を送りこみ,政治を怠らせようとした。呉王の寵を得ると,西施はさまざまな難題を要求して呉国を疲弊させた。呉が越に滅ぼされたあと,もともと情を通じていた越の賢臣范蠡(はんれい)とともに五湖に舟を浮かべて行方知れずになったという。西施の事跡は,彼女がきぬを洗った浣紗渓(かんしやけい)(浙江省紹興の南,若邪渓(じやくやけい)とも)など,江南の風物と結びついて,詩歌にうたわれることが多い。
執筆者:小南 一郎
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生没年不詳。中国古代の美女。春秋時代末期、呉(ご)王夫差(ふさ)に会稽(かいけい)で敗れた越(えつ)王勾践(こうせん)は、仇敵(きゅうてき)である夫差が好色なのを知って、復讐(ふくしゅう)のため美女を献ずる策を思い付く。そして家臣范蠡(はんれい)が苧蘿(ちょら)山で薪(たきぎ)を売っていた美女西施をみいだして諸芸を教え、呉国へ送り込んだ。臣下の伍子胥(ごししょ)が制止するのも聞かず、夫差は喜んで西施を迎えて溺愛(できあい)したために、呉国滅亡の一因をなしたと伝えられている。
西施の名は、広く美女の代名詞としてその後も親しまれ、しばしば後世の詩人たちが詩中に詠み込んだ。
[桐本東太]
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