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会稽山 カイケイザン

世界大百科事典 第2版の解説

かいけいざん【会稽山 Huì jī shān】

中国,浙江省北部,紹興市の南東から南へつづく一連の山峰をいう。最高峰は南部の東白山(1195m)だが,北へゆくほど低くなり海岸平野へ埋没し島嶼状につづく。伝説によれば,が全国を巡視した時,最後にここに江南の諸侯を会し,功績を評価して封爵を与えたという(苗山,茅山,防山などと称される)。会稽という名はこれによる。また秦の始皇帝も禹をまつって石碑を建てたという(秦望山という別称はこれによる)。この付近は古代の越国の中心で,杭州湾から江南全体を展望しうる会稽山はその象徴であった。

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大辞林 第三版の解説

かいけいざん【会稽山】

中国、浙江せつこう省紹興しようこうの南東にある山。海抜860メートル。春秋時代、越王勾践こうせんが呉王夫差に敗れた所。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

会稽山
かいけいざん

コイチー(会稽)山」のページをご覧ください。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

会稽山
かいけいさん / ホイチーシャン

中国、浙江(せっこう/チョーチヤン)省中部にある山。紹興(しょうこう/シャオシン)市の南方に、北から南に連なる。もと防山、棟(とう)山、または茅(ぼう)山とよばれたが、夏(か)の禹王(うおう)がここに諸侯を集めその功績をたたえた故事によって、会稽山と改められたと伝えられる。春秋時代、越王(えつおう)勾践(こうせん)は呉王(ごおう)夫差(ふさ)に攻められてこの山にこもり、のち臥薪嘗胆(がしんしょうたん)の苦労を積んで会稽の恥を雪(すす)いだことで有名である。[酒井敏明]

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世界大百科事典内の会稽山の言及

【禹】より

…天下が安定すると,舜帝から禅譲を受け,禹は平陽に都を定めて夏王朝を開いた。禹の伝説には,塗山で妻をめとったり,会稽山に諸侯を集めたりしたなど,長江(揚子江)下流域に結びついたものが多いが,南北朝期の江南の道教のなかにも,道教化した禹の姿を見ることができる。【小南 一郎】。…

【句践】より

…父允常(いんじよう)以来隣国の呉とは宿敵の関係にあった。父の死後,句践が立って呉王闔閭(こうりよ)を破ると,闔閭の遺命をうけた子の夫差は,2年後に句践を会稽山に下して父の仇に報いた(前494)。許されて帰国した句践は,范蠡(はんれい)らとともに臥薪嘗胆(がしんしようたん)して会稽山の恥を忘れることなく力を養って20年,ついに前473年に呉を討ってこれを滅ぼした。…

※「会稽山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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