(読み)エツ

デジタル大辞泉 「越」の意味・読み・例文・類語

えつ【越】[漢字項目]

常用漢字] [音]エツ(ヱツ)(漢) オチ(ヲチ)(呉) エチ(ヱチ)(呉) [訓]こす こえる
〈エツ〉
ある所・時の境をこえる。「越境越冬越年
物事の範囲・程度をこえる。「越権僭越せんえつ卓越超越優越
古代中国の国名。「呉越
「越前」「越後」「越中」の略。「越州上越北越甲信越
ベトナム。「中越」
〈エチ〉こしの国。「越後越前
[名のり]お・こえ・こし
[難読]越天楽えてんらく越度おちど越階おっかい越訴おっそ檀越だんおち・だんおつ夏越なごし越南ベトナム

えつ〔ヱツ〕【越】

中国、春秋時代の列国の一。都は会稽かいけい。前473年、を滅ぼして北上、中原に覇を唱えたが、前334年、に滅ぼされた。
中国浙江せっこう省の異称。
えつ(粤)

こし【越/高志】

こしの国

えち【越】[漢字項目]

えつ

おち【越】[漢字項目]

えつ

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「越」の意味・読み・例文・類語

ごし【越】

  1. 〘 造語要素 〙
  2. 名詞に付いて、その物を越して、あるいは隔てて、何かをすることの意を表わす。「垣根ごし」「ガラスごし」
    1. [初出の実例]「大坂に 継ぎ登れる 石群(いしむら)を 手(た)誤辞(ゴシ)に越さば 越しかてむかも」(出典:日本書紀(720)崇神一〇年九月・歌謡)
  3. 時間的長さを表わす語に付いて、その間中続いてきたことを表わす。ある年月にまたがって。
    1. [初出の実例]「二年ごし三年ごし、来る日も来る日も」(出典:浄瑠璃・国性爺後日合戦(1717)一)

こし【越】

  1. [ 1 ] 〘 名詞 〙
    1. 能楽で、囃子(はやし)打ち方の名称。
    2. 連歌、俳諧で、付句から一句隔てた前の句。また、一句を隔てて句と句が相対することをいう。打越(うちこし)
  2. [ 2 ] 〘 接尾語 〙 ちりめん織物で、左右から互いにさしこむ緯(よこいと)の数を数えるのに用いる。

えつヱツ【越】

  1. [ 一 ] 中国、春秋戦国時代の国。春秋十四列国の一つ。会稽を都として浙江地方を治める。前六〇一年より史書にその名が現われるが、紀元前五世紀初めの勾践(こうせん)のとき、北方の呉を破って江蘇、山東に進出。紀元前三三四年楚に滅ぼされる。
  2. [ 二 ] 中国、浙江省の別称。
  3. [ 三 ] 越前(福井県)、越中(富山県)、越後(新潟県)の略。

こそ【越】

  1. 四段活用動詞「こす(越)」の連体形「こす」の上代東国方言。
    1. [初出の実例]「潮船の舳(へ)古祖(コソ)白波にはしくもおふせ給ほか思はへなくに」(出典:万葉集(8C後)二〇・四三八九)

ごえ【越】

  1. 〘 造語要素 〙 国名・峠の名など、地名に付いて、そこを越える経路を表わす語。「伊賀越え」「龍華越え」「ひよどり越え」

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

普及版 字通 「越」の読み・字形・画数・意味


常用漢字 12画

(異体字)
9画

[字音] エツ(ヱツ)・オチ(ヲチ)
[字訓] こえる・ここに

[説文解字]
[金文]

[字形] 形声
声符は戉(えつ)。〔説文〕二上に「度(わた)るなり」、また二下は「踰(こ)ゆるなり」とあって、声義同じ。

[訓義]
1. こえる、わたる。
2. 度越して、遠く至ることをいう。とおい、いたる。
3. 与に通じて、と。于・粤に通じて、ここに、に、これ。
4. 国の名、種族の名。

[古辞書の訓]
名義抄〕越 コユ・ココニ・コレ・オイテ・オク・ムカシニ・ワタル・トホシ・コレニオイテ・ムキカフ・ココロ 〔字鏡集〕越 コユ・ワタル・ハシル・トホシ・ムカシ・オク・オイテ・ココニ・コレニオイテ・コレ・ヤク・ココロ

[語系]
越・曰・粤・于jiuat、聿・jiutはみな声近く、発語の「ここに」の意に用いる。

[熟語]
越位・越逸・越軼・越・越界・越外・越格・越軌・越疆・越・越境・越群・越控・越獄・越在・越思・越次・越若・越訟・越墻・越職・越絶・越俎・越渡・越度・越冬・越等・越分・越法・越踰・越礼・越裂
[下接語]
違越・逸越・越・隕越・遠越・甌越・乖越・隔越・干越・激越・胡越・跨越・呉越・克越・越・差越・散越・殊越・秀越・清越・僭越・楚越・対越・卓越・檀越・超越・越・度越・騰越・播越・越・奮越・放越・奔越・踰越・優越・陵越

出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「越」の意味・わかりやすい解説

越(華南、ベトナム北部)
えつ

中国の春秋時代以降、華南からベトナム北部にかけて広く分布していた民族、またはその建てた国をさす名称。種族が多いため、百越(粤(えつ))とも総称されたが、比較的まとまった勢力として次のような集団があった。

(1)於越(おえつ) 「于越」あるいは単に「越」とも称する。会稽(かいけい)を中心とする春秋時代の一国で、勾践(こうせん)ののち国勢振るわず、紀元前334年楚(そ)に滅ぼされた。

(2)甌越(おうえつ) 於越の後で、漢初に現れ、浙江(せっこう)省甌江(おうこう)流域を中心とし、越東海または東甌とも称する。

(3)閩越(びんえつ) 漢代、福建省閩江(びんこう)流域を中心とし、東越とも称する。

(4)揚越(ようえつ) 漢代、揚州の南部と北部にあった。

(5)山越 於越、閩越、揚越の後裔(こうえい)で、三国時代の中心は江蘇(こうそ)省にあった。

(6)南越 秦(しん)末漢初、広州を中心として、中国人趙佗(ちょうだ)の建てた国。

(7)西甌 秦・漢時代、ベトナム北部にあった越族の一勢力。

(8)駱越(らくえつ) 雒越とも書き、北ベトナムのソン・コイ川デルタを中心とする越族最南のグループ。

 以上の各集団は三国時代までに中国の領域内に吸収され、漢文化に同化されたが、最南の駱越のみが越族の伝統をかたくなに保存し、宋(そう)初に独立してのちも越(大瞿越(だくえつ)、大越(だいえつ)、越南)をもって国号とした。現在のベトナム人は、駱越と中国華南地区移民の混血によるものである。

[陳 荊 和]


越(春秋戦国時代)
えつ

中国、春秋戦国時代の国。浙江(せっこう)省北部に本拠を置く大国として、江蘇(こうそ)省の大国呉(ご)と対峙(たいじ)した。その呉を滅ぼした後は、勢力圏を浙江から江蘇・安徽(あんき)両省方面に伸ばした。新石器時代、青銅器時代を通して中原(ちゅうげん)とは異なる文化圏にあった。前6世紀、越王允常(いんじょう)のころ、強大化して呉と抗争するようになるが、その子勾践(こうせん)(在位前496~前467)は呉王夫差(ふさ)に会稽(かいけい)で敗れ、滅亡の淵に立たされた。一時隠忍した後、呉王夫差が北進したすきを突いて呉に攻め入り、やがてこれを滅ぼした(前473)。その余勢を駆って中原に覇を唱え、山東の斉(せい)の南辺を脅かしたが、前329年に楚(そ)の威王(いおう)に大破され、さらには楚の頃襄王(けいじょうおう)にも大破されて勢力が衰えた。その後山東の南に命脈を保ち、前257年、魯が楚に滅ぼされたころ、同じく楚に滅ぼされたらしい。

[平勢隆郎]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「越」の意味・わかりやすい解説

越【こし】

古代における本州の日本海沿岸域北東部を指す地名で,古志・高志・古之とも書く。律令期以降の越前・加賀・能登・越中・越後・出羽各国にあたる。《日本書紀》には〈越国〉のほか,〈越海〉〈越之路〉〈越之丁〉〈越辺蝦夷〉などとみえ,白鹿・燃土・燃水が献上されたとの記事があり,畿内(きない)王権における労働力源,蝦夷(えぞ)対策の補給基地,高句麗(こうくり)使の渡来経路などとして現れる。《日本書紀》の国生み神話には,本州を意味する〈大日本豊秋津洲(おおやまととよあきづしま)〉とは別に〈越洲(こしのしま)〉があげられており,遅くまで畿内王権と関係の薄い独立性の高い地域であったと考えられる。《古事記》の〈高志の八俣(やまた)の遠呂智(おろち)〉や《出雲国風土記》の〈高志の都都(つつ)の三埼(みさき)〉の国引き伝承などは西方の山陰地方との結びつきを示唆し,《日本書紀》欽明(きんめい)天皇31年条の高句麗使着岸の記事などは,日本海対岸地域との交流を伝えている。百済大(くだらだい)寺の造営に越の丁(よほろ)などが徴発されたといい(同書),厳密な意味で越が畿内王権の管理下に置かれたことを示す初見記事とされる。7世紀末の国評(こくひょう)制施行によって越前・越中・越後の3国に分立。その後越後国から出羽国越前国から能登国加賀国が分立した。なお越に対する古代貴族の観念は,枕詞(まくらことば)の〈しな離(ざか)る〉に象徴されている。

越【えつ】

(1)中国,春秋末期から戦国時代に,今の浙江地方にあった国。会稽(浙江省紹興)に都した。北方のと争い,王句践(こうせん)は前473年呉王夫差(ふさ)を破り覇者となった。その死後は衰え,前306年ごろに滅ぼされる。→春秋戦国時代(2)五代十国の一つ。呉越とも。908年―978年存続。銭塘(杭州)に都し,宋に滅ぼされた。(3)ベトナムの王朝も〈越〉を称したものが多い。10世紀には大瞿越(ダイコーベト)が建国し,11世紀のリ(李)朝,13世紀のチャン(陳)朝は国号を〈大越〉(ダイベト)とした。ベトナムという国号も,漢字の〈越南〉を現地音で読んだものである。
→関連項目太宗(宋)覇者

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

改訂新版 世界大百科事典 「越」の意味・わかりやすい解説

越 (こし)

古代の広域地名。高志,古志,古之とも書く。本州の日本海沿岸域北半,敦賀湾から津軽半島までを包括する。律令期以降の越前,加賀,能登,越中,越後,出羽に相当し,若狭,佐渡は含まれない。《日本書紀》の国生み神話の多くは,本州を意味する〈大日本豊秋津洲(おおやまととよあきづしま)〉とは別に〈越洲(こしのしま)〉を掲げており,かなり遅くまで畿内の王権とのつながりの薄い独立性の強い地域であったと考えられるが,507年には継体天皇を畿内に送り出したと伝承される。《古事記》の〈高志の八俣(やまた)の遠呂智(おろち)〉の伝承,《出雲国風土記》の〈高志の都都(つつ)の三埼(みさき)〉の国引きの伝承などが,山陰との深い結びつきを語り,《日本書紀》欽明天皇31年条の高句麗使着岸の記事などが,日本海の対岸諸地域との頻繁な交流を伝える。642年(皇極1)の百済大寺の造営に〈近江と越の丁(よほろ)〉が徴発されたとする《日本書紀》の記述は,越が畿内の王権の掌握下に置かれたことを示す,厳密な意味での初見記事である。7世紀末の国評制の施行によって,越前,越中,越後の3国に分立。712年(和銅5)に越後から出羽,718年(養老2)に越前から能登が分立し,823年(弘仁14)に越前から加賀が分出した。古代貴族の越に対する観念は,多くの山坂を隔てたかなたの土地を意味する〈科離(しなざか)る〉の枕詞に象徴されている。
執筆者:


越 (えつ)
Yuè

中国,前漢代前期に越王句践(こうせん)の子孫と称した越族が,閩江(びんこう)流域に閩越国,甌江(おうこう)流域に東越(東甌)国をたてた。秦末,君長の騶無諸(すうむしよ)と騶揺はそれぞれの部族を率いて漢王朝の成立をたすけ,騶無諸は前202年閩越王に,騶揺は前191年東越王に安堵された。東越は,〈呉楚七国の乱〉に関与したことが遠因で滅亡,閩越も,一時は南越を侵すほど隆盛をほこったが,前110年(元封1),漢に滅ぼされ,東越と同様にその住民は今の江蘇省北部へ移住させられた。この結果,今の福建省は無人の地と化したといわれる。
執筆者:


越 (えつ)
Yuè

中国古代,春秋戦国時代の侯国,都は会稽(浙江省紹興市)。夏王少康の子無余が封ぜられた国というが,不明。郕(えつ)・粤・於越とも書く。春秋後半に強大となり,呉と争い,王句践(こうせん)は前473年呉王夫差を破り,呉を併合。北進して晋・楚と対立し,魯など山東諸侯国の争いに介入し,周王に覇者と認められる。この間一時都を北の瑯琊(ろうや)(山東省胶南県)にうつしたと言われる。戦国時代に入ると,急速に衰え,前306年ころ楚に滅ぼされた。
春秋戦国時代
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「越」の意味・わかりやすい解説


えつ
Yue; Yüeh

中国の春秋・戦国時代の諸侯国の一つ。都は会稽 (浙江省) 。越人は入墨,断髪の風習があり,漢人とは異なる民族といわれる。春秋時代末期に強くなり,北隣のと抗争を繰返した。勾践 (こうせん) が前 496年,呉王闔閭 (こうりょ) を破ったが,その子夫差のため前 494年に大敗北。范蠡 (はんれい) らの補佐により苦心の末,前 473年夫差を滅ぼし,恥をそそいだ。以後はふるわず,前 334年楚に滅ぼされた。春秋の五覇の一つに数えられることがある。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「越」の解説

越(えつ)
Yue

?~前334

浙江(せっこう)地方を支配した周代諸侯国の一つ。都は会稽(かいけい)。北隣の呉(江蘇地方)と争い,勾践(こうせん)のとき呉王夫差(ふさ)を滅ぼし(前473年),さらに北上して覇者となった。その後衰退し,前334年楚(そ)に滅ぼされた。越人は文身(いれずみ),断髪の風習があり,その後福建地方に拠った閩越(びんえつ),嶺南(れいなん)を支配した南越と同じく,華南,ベトナムに分布していた南方系民族(百越)の一派である。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

山川 日本史小辞典 改訂新版 「越」の解説


こし

高志・古志とも。北陸地域の古称。「日本書紀」神代巻の国生み段に「越洲」とあるのが初見。「こし」は都から坂を越えたむこうの意とする説などがあるが不明。三国・高志深江などの国造(くにのみやつこ)がおかれたとされ,大化の改新の直後には渟足(ぬたり)柵・磐舟(いわふね)柵を造営。斉明朝(655~661)に国守阿倍比羅夫(ひらふ)が渡島(わたりのしま)・津軽に遠征するなど,北方に広大な夷地をかかえる国であった。7世紀末に越前・越中・越後の3国に分割。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「越」の解説


えつ

春秋時代から戦国時代に浙江 (せつこう) 地方にあった諸侯国の1つ
会稽 (かいけい) (現在の紹興 (しようこう) )に都した。同じ南方系異民族の北隣(現在の江蘇地方)の呉と争うことが多く,前473年越王勾践 (こうせん) は呉王夫差を討って中原に進出し,覇者になった。勾践の子孫無彊 (むきよう) のとき楚 (そ) と争い,敗れて前334年滅亡した。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

世界大百科事典(旧版)内のの言及

【峠】より

…山の鞍部を横切って山越えの道が通っているところをいう。
[峠という言葉]
 峠という字は日本で作られたもので,道が山嶺を越えて上り下りするところからできた。…

【会稽山】より

…また秦の始皇帝も禹をまつって石碑を建てたという(秦望山という別称はこれによる)。この付近は古代の越国の中心で,杭州湾から江南全体を展望しうる会稽山はその象徴であった。秦・漢を通じても江南全体は会稽郡と呼ばれた。…

【越後国】より

…現在の佐渡を除く新潟県に当たる。
【古代】
 大化改新以後つくられた越(こし)国の蝦夷に接触している地域で,7世紀の半ば阿倍比羅夫が蝦夷経営に活躍し,渟足(ぬたり)柵磐舟(いわふね)柵がつくられた。7世紀末には越前,越中,越後の3国に分かれた。…

【越前国】より

…現在の福井県のうち南西部の旧若狭国を除いた北東部を占める。
【古代】
 北陸地方は古くは(こし)(高志)とよばれ,越前に当たる地域には角鹿(つぬが)国造,三国国造がいた。越は蝦夷経営の前進基地としての政治的役割をもち,589年に阿倍臣を北陸道に遣わし越等の諸国の境を視察させている。…

【越中国】より


【古代】
 北陸道に属する上国(《延喜式》)。北陸の地一帯は古くは(こし)と総称されたが,律令国家の形成過程で越前,越中,越後の3国に分割された。その時期は明確ではないが,《日本書紀》持統6年(692)9月癸丑条に〈越前国司白蛾を献ず〉と見えるのが分割された国名の初見である。…

※「越」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

仕事納

〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...

仕事納の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android