日本歴史地名大系 「右左口村」の解説
右左口村
うばぐちむら
甲府盆地の南部、
戦国期には祖母口・姥口・上口とも記された。天正一〇年(一五八二)七月二三日の徳川家康印判状(右左口地区共有文書)に祖母口郷とみえ、当地の在家四七軒は往還の伝馬役を勤めていることを理由に、関塩相物などの諸役免除を認められている。同一八年九月には羽柴秀勝によって「往還之伝馬並塩干物之役」が先規の如く免除された(「羽柴秀勝印判状」同文書)。同一〇年四月一〇日、武田氏を滅ぼした織田信長は、帰国するため甲府を立って最初に「うは口」で宿泊した。このとき徳川家康は二重・三重に柵を作るなど水も漏らさぬ警戒をしている。信長は翌一一日払暁に当地を立ち、
慶長古高帳に右左口とみえ高六七三石余、幕府領。ほかに
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報