吉川治郎左衛門(読み)ヨシカワ ジロウザエモン

20世紀日本人名事典 「吉川治郎左衛門」の解説

吉川 治郎左衛門
ヨシカワ ジロウザエモン

明治・大正期の農村指導者,政治家 滋賀県議。



生年
安政3年7月23日(1856年)

没年
大正13(1924)年7月8日

出生地
近江国野洲郡吉川村(滋賀県野洲郡中主町)

主な受賞名〔年〕
紫綬褒章〔大正4年〕

経歴
代々地主を務める家に生まれ、若い時から村政に携わった。明治16年村の有志とはかって吉川奨励社を設立し、農談会を開いて農事の改良や奨励・篤農への表彰などを行う。17年滋賀県会議員に選ばれ、自由党に所属、以後33年に渡って県政の発展に努めた。25年琵琶湖沿岸地域の干拓や水利事業のため吉川興農銀行を興し、喜合・菖蒲地区の新田開発や野洲川の堤防改修などを行った。また30年には野洲地区と大津との交通改良をはかり、吉川汽船株式会社を設立。その他にも、蒸気ポンプ式の揚水場建築や養蚕振興・学校の建造などにも当たり、地域の活性化・文化の興隆に力を尽くした。大正4年紫綬褒章を受章

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉川治郎左衛門」の解説

吉川治郎左衛門 よしかわ-じろうざえもん

1856-1924 明治-大正時代の農村指導者。
安政3年7月23日生まれ。生家は近江(おうみ)野洲郡吉川村(滋賀県中主町)の代々の地主。明治25年琵琶湖沿岸地域の干拓,水利改修のために吉川興農銀行を創立,菖蒲(あやめ)・喜合(きごう)などの新田開発をおこなう。養蚕の振興,学校の設立などにもつくした。県会議員。大正13年7月8日死去。69歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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