日本歴史地名大系 「吉田・上吉田」の解説
吉田・上吉田
よしだ・かみよしだ
富士山を遥拝する鳥居(現北口本宮冨士浅間神社)の前方に形成された中世の町場(宿)。御師集落としての性格が強い。集落は東を桂川の支流
「勝山記」文明一二年(一四八〇)条に三月二〇日「富士山吉田取井立」と記される。同書には以後明応三年(一四九四)条に「吉田取訪大明神」、同五年条には「甲斐国都留郡吉田正覚庵」、同八年条には「吉田上行寺」、同九年条には「吉田トリイ」「吉田」など、いずれも上吉田に所在する寺社や堂舎に冠して記される。また天文一四年(一五四五)二月一一日の雪代災害についても、「富士山ヨリ雪代水ヲシ候て、吉田ヘヲシカケ、人馬共ニヲシナカシ申候、殊ニ其ノ水ニテ下吉田ノ冬水ノ麦ヲ悉クヲシナカシ申候」と下吉田と対比される上吉田は単に吉田とされており、「勝山記」記載の「吉田」は上吉田をさすものと理解される。同様の傾向は天文から天正年間(一五七三―九二)にかけての武田・小山田両氏の発給文書にもうかがえ、上吉田所在の寺社について、天文一七年五月二六日の小山田信有印判状写(甲州古文書)は「吉田諏訪」、天正九年五月六日の武田勝頼印判状(西念寺文書)は「吉田郷西念寺」などと所在地を「吉田」と表記する。ただし下吉田と明確に区分するために、まま上吉田の呼称が使われることもあった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報