日本歴史地名大系 「吉良城跡」の解説
吉良城跡
きらじようあと
北に吉良ヶ峰(二四九メートル)がそびえ、南は
天文年間(一五三二―五五)の吉良宣経の頃が全盛期で、周防国山口から南村梅軒を迎えて南学の基を開き、吉良条目を制定したことが知られる。しかしこれらについては「吉良物語」(県立図書館蔵)のほかほとんど伝えるものがなく、同書は天正年間(一五七三―九二)に成り、その後潤色されていることから疑義ももたれている。梅軒の来国については「霖雨晴れやらず長き日の徒然なるに、南村の梅軒と云ふ人来れり」と記し、その出国も宣経の死後「南村氏年老いたれば故郷へや帰りけん、又何方へや行きけん、此の国には居らざりけり」と述べるのみである。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報