弘岡(読み)ひろおか

日本歴史地名大系 「弘岡」の解説

弘岡
ひろおか

古代の佐用広岡ひろおか(和名抄)の郷名を継承した地名で、中世は佐用さよ庄に含まれた。古代―中世の美作道に沿った地域、現上月町北部の本郷ほんごうを中核とする一帯に比定される。観応元年(一三五〇)一二月五日の足利尊氏袖判下文案(森川文書)に佐用庄内「弘岡方」とみえ、室町幕府将軍足利尊氏が、赤松円心の嫡男範資に父の遺領である当地ほかを安堵している。五山文学僧として名高い惟肖得巌の「東海瓊華集」に、法雲ほううん(現上郡町)より「広岡之蒲隠」に帰ろうとした時に詠んだ漢詩がある。この広岡は当地のことか。当地は範資から息則弘に伝領されたようで、則弘は広岡を名乗っている(赤松系図)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「弘岡」の意味・わかりやすい解説

弘岡
ひろおか

高知県高知市の一地区。狭小な弘岡平野高燥で、土佐藩執政野中兼山(けんざん)が弘岡水路を開削して以後開発が進んだ。水路は下流新川(しんかわ)川に続き、仁淀(によど)川筋から高知城下への水運にも利用された。戦国時代吉良(きら)氏の本拠地で、周防(すおう)(山口県)から南村梅軒(みなみむらばいけん)が訪れ四書五経を講じ、南学発祥の地とされ、「南学発祥之地」の碑が立ち、県の史跡に指定されている。付近には中世弘岡市(いち)が存在した。

[正木久仁]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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