向津奥庄(読み)むかつくのしよう

日本歴史地名大系 「向津奥庄」の解説

向津奥庄
むかつくのしよう

向津具むかつく半島一帯を荘域とすると思われる妙法みようほう院管理の新日吉いまひえ(現京都市東山区)領の荘園。古代の向国むかつくに郷域で、鳥羽天皇の時代に立券され、のち後白河法皇が新日吉社を勧請するに及び、向津奥庄を同社に寄進妙法院門跡昌雲に管理を任せた。

向津奥庄は平治の乱の首謀者となった藤原信頼が長門国を知行した時押領することがあったが、鳥羽天皇の第二皇女上西門院統子内親王の命により、元のごとく免進された。次いで長門国司が荘内に乱入、横妨することがあったので、永暦二年(一一六一)に後白河院の下文をもって元のごとく荘務領掌し、官物を懈怠なく進めるようにさせた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む