呂本中(読み)リョホンチュウ

デジタル大辞泉 「呂本中」の意味・読み・例文・類語

りょ‐ほんちゅう【呂本中】

[1084?~1145]中国、宋代の思想家あざな居仁東莱先生と称された。程顥ていこう程頤ていい学問を学び、また、博学で、詩文にも長じた。著「春秋解」「童蒙訓」「師友淵源録」など。

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精選版 日本国語大辞典 「呂本中」の意味・読み・例文・類語

りょ‐ほんちゅう【呂本中】

  1. 中国北宋末の学者詩人。字は居仁。東莱先生と称される。諸説を集成した「春秋解」や「東莱博議」等を著わした。詩を黄庭堅らに学び、宋代江西詩派の代表的詩人の一人に数えられる。(一〇八四‐一一四五

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「呂本中」の意味・わかりやすい解説

呂本中
りょほんちゅう
(1084―1145)

中国、宋(そう)代の詩人。字(あざな)は居仁(きょじん)、号は紫微(しび)。寿州(安徽(あんき)省寿県)の人。曽祖父(そうそふ)呂公著(りょこうちょ)が宰相を務めたおかげで、承務郎を授かり、官は中書舎人(しゃじん)に至った。その詩は黄庭堅(こうていけん)と陳師道(ちんしどう)の詩風を継承するもので、彼がつくった「江西詩社宗派図」によって、いわゆる江西派が一時期流行し、宋詩に一画期をなした。1166年(乾道2)の曽幾(そうき)の序を付す『東莱(とうらい)先生詩集』20巻があり、趣味の詩が多いが、金の侵略下の「兵乱後雑詩」29首など時事を詠じた秀作もある。『童蒙訓(どうもうくん)』『紫微詩話』の著による詩学啓蒙の功績も大きい。

[横山伊勢雄]

『今関天彭・辛島驍著『漢詩大系16 宋詩選』(1966・集英社)』『前野直彬編『宋詩鑑賞辞典』(1977・東京堂出版)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「呂本中」の意味・わかりやすい解説

呂本中
りょほんちゅう
Lü Ben-zhong

[生]元豊7(1084)
[没]紹興8(1138)
中国,北宋末,南宋初の詩人,学者。寧州 (安徽省) の人。字,居仁。号,東莱 (とうらい) 。幼少から英敏で,宰相であった曾祖父の呂公著に愛され,科挙を受けずに官につき,枢密編修,権尚書郎などを歴任。南宋に入って中書舎人に進んだが,中傷され太平観提挙に左遷されて終った。『哲宗実録』の編集にあたったほか,『春秋解』 (10巻) ,『童蒙訓』 (3巻) ,『師友淵源録』 (5巻) などの著があり,また江西出身の黄庭堅の詩風を継承する詩人たち 25人を『江西詩社宗派図』に記し,いわゆる江西詩派を系統づけた。みずからも黄庭堅に学び,スケールは小さいが,いきいきとした詩を書いた。『東莱詩集』 (20巻) ,詩論『紫微詩話』 (1巻) がある。

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