呉汝綸(読み)ごじょりん(その他表記)Wú Rǔ lún

改訂新版 世界大百科事典 「呉汝綸」の意味・わかりやすい解説

呉汝綸 (ごじょりん)
Wú Rǔ lún
生没年:1840-1903

中国,清末の学者。字は摯甫。清朝文壇勢力をもった桐城派で有名な安徽省桐城の人。同治4年(1865)の進士。〈文章は天地至精〉とのべた彼は若くから文章家として名をはせ,当時の大官僚曾国藩李鴻章のブレーンとして活躍,曾・李両人の上奏文の多くを書いたといわれる。1902年(光緒28),現在の北京大学前身である京師大学堂の総教習となり,教育視察のため日本を訪れ,日本の三省堂から《東游叢録》(1902年10月)を出版,中国の学校制度確立に影響をあたえた。著書に《桐城呉先生全書》22巻などがある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「呉汝綸」の意味・わかりやすい解説

呉汝綸
ごじょりん
Wu Ru-lun; Wu Ju-lun

[生]道光20(1840)
[没]光緒29(1903)
中国,清末の学者。安徽省桐城県の人。字は摯甫。同治4 (1865) 年の進士。内閣中書に入り,曾国藩に認められてその幕僚となり,のち李鴻章にも信任された。文にすぐれ,曾,李両人の奏疏の多くは汝綸の手になったものと伝えられる。また深州,冀州長官となった際には,文教高揚に努め,斬新な治政を推進するなど型破りな行動がみられた。のち李鴻章のすすめで蓮池書院で講じ,光緒 28 (1902) 年には,管学大臣張百煕の推薦で京師大学堂総教習となり,視察のため来日した。帰国後郷里に小学堂を建て翌年没した。著書に『深州風土記』 (20巻) ,『東遊叢録』 (4巻) などがある。

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百科事典マイペディア 「呉汝綸」の意味・わかりやすい解説

呉汝綸【ごじょりん】

中国,清末の学者。字は摯甫(しほ)。安徽省桐城の人。1865年の進士。内閣中書,のち曾国藩李鴻章幕下。また北京大学堂総教習として教育制度改革に活躍した。民国初期の教育界に影響。著書《易説》《東遊叢録》《深州風土記》。

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