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和佐大八郎 わさ だいはちろう

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

和佐大八郎 わさ-だいはちろう

1663-1713 江戸時代前期-中期の弓術家。
寛文3年生まれ。紀伊(きい)和歌山藩士和佐実延の子。吉見台右衛門に竹林派弓術をまなぶ。貞享(じょうきょう)3年京都三十三間堂での通し矢で8133本を射とおし,尾張(おわり)名古屋藩士星野勘左衛門の記録を更新した。正徳(しょうとく)3年3月24日死去。51歳。名は範遠(のりとお)。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

和佐大八郎
わさだいはちろう
(1661―1713)

江戸時代の弓術家。大八とも。寛文1年生まれ。紀伊(きい)藩士で才右衛門(さいえもん)、範遠(のりとお)と称した。幼少より膂力(りょりょく)人に優れ父森右衛門実延(さねのぶ)より弓の手ほどきを受けた。その才能に恵まれ、後に紀州竹林派の名師吉見台右衛門(だいえもん)(順正)に師事し印可を受けた。1684年(貞享1)4月29日京都三十三間堂において全堂千射を行ったが射損じ、959射のうち865本を射通し、貞享3年4月27日全堂大矢数(おおやかず)で惣矢数1万3053射のうち通り矢数8133本の記録を樹立し射越(いこし)(日本一のこと)の名誉を得た。この記録は尾張(おわり)藩士星野勘左衛門の記録を17年ぶりに更新した記録であり、尾州と紀州との日本一争いに終止符を打った。その後この記録を破った者はいない。
 大八郎はこの功により同年6月300石、貞享5年4月500石で射手役、1689年(元禄2)3月弓術印可、元禄8年頭役(かしらやく)、元禄9年近習(きんじゅ)頭役となったが、1709年(宝永6)さる事により田辺(たなべ)に謫居(たっきょ)、正徳3年3月24日53歳で病没した。戒名は到蓮院安誉休心居士。門人には和佐貞恒(さだつね)(大八の子)、西川如治(なおはる)(実如)などがいる。[入江康平]
『堀内信編『南紀徳川史』(1970・名著出版) ▽小野崎紀男編著『弓道人名大事典』(2003・日本図書センター)』

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世界大百科事典内の和佐大八郎の言及

【通し矢】より

…正保年間(1644‐48)以後江戸でも行われ,京都と呼応して盛んとなり,またこれにならって一夜にできるだけ多くの句を詠む行事も行われるようになった。大矢数の最高記録は,1686年(貞享3)4月,紀州藩の和佐大八郎が,矢数1万3053本のうち8133本を射通した記録が残っている。【中林 信二】。…

※「和佐大八郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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