大矢数(読み)おおやかず

デジタル大辞泉の解説

おお‐やかず〔おほ‐〕【大矢数】

江戸時代、陰暦4、5月に京都三十三間堂などで行われた通し矢の競技。日暮れから翌日の暮れまでの一昼夜に数千本から一万数千本を射つづけて、その数の多さを誇った。 夏》「―弓師親子もまゐりたる/蕪村
[補説]書名別項。→大矢数

おおやかず【大矢数】[書名]

江戸前期の俳諧集。5冊。井原西鶴著。延宝8年(1680)に大坂生玉(いくたま)社で、京都三十三間堂の大矢数にならって1日に四千句の独吟を成し遂げ、翌年出版したもの。西鶴大矢数

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大辞林 第三版の解説

おおやかず【大矢数】

江戸時代、京都の三十三間堂などで行われた通し矢の競技。夕刻から翌日の日暮れまでの一昼夜の間に、堂の長さ六六間(約120メートル)を射通した矢数の多さを競いあった。 → 小矢数こやかず
矢数俳諧」に同じ。大句数。
西鶴さいかく大矢数

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

大矢数
おおやかず

江戸時代に京都・東山(ひがしやま)および江戸・深川の三十三間堂で催された通し矢の行事のことで、堂の前庭で行われたところから堂前(どうまえ)ともいわれる。陰暦4、5月ごろの吉日を選び、全国から弓の達人が参集して、日暮れから翌日の日暮れまで一昼夜射続け、堂の長さ66間(約120メートル)を射通した矢数の多いのを誇りとした。日の出から日没まで行うものを小(こ)矢数または日(ひ)矢数といい、一昼夜に及ぶものを大矢数といって、夜間は篝火(かがりび)をたき、武士や町人の見物人も多く、勇壮な行事として知られ、その年の最高位を「総一」「弓の天下」などと称し、扁額(へんがく)を堂に掲げてたたえた。総矢数の最高は1686年(貞享3)の8133本と伝えられているが、1895年(明治28)の4457本を最後に絶え、現在は、成年に達した男女が記念のために京都の三十三間堂で行う通し矢の催しとして名残(なごり)をとどめている。[佐藤農人]

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精選版 日本国語大辞典の解説

おお‐やかず おほ‥【大矢数】

[1] 〘名〙
① 近世、陰暦四、五月に、京都および江戸深川の三十三間堂で行なわれた通し矢の競技。弓の達人がその腕前を試みたもので、射手は、堂の長さ六六間(約一二〇メートル)を射通して、日暮れから翌日の日暮れまでの一昼夜に、数千本から一万数千本の矢を射続け、その矢数の多いのを誇りとした。矢数。⇔小矢数。《季・夏》
※俳諧・西鶴大句数(1677)序「天下の大矢数は星野勘左衛門其名万天にかくれなし」
② 俳諧で、一人が一日一夜に続けざまに句を吟じ、その速さと句数の多さとを誇るもの。矢数俳諧。
※俳諧・西鶴大矢数(1681)第二五「駟(し)も舌に及ばぬ事ぞ大矢数〈守之〉 蛍飛んでは車四千句〈西鶴〉」
[2] 江戸前期の俳諧集。西鶴大矢数。五巻。井原西鶴作。延宝九年(一六八一)刊。延宝八年五月七日、「大句数」の記録を破られた西鶴が名誉を回復するために大坂生玉社南房の一日一夜の興行で詠んだ四千句の俳諧独吟集。
[語誌](一)①の式法にならった(一)②の矢数俳諧は、延宝五年(一六七七)五月、西鶴が大坂生玉本覚寺で一六〇〇句を興行し、「大句数」として刊行したのに始まる。

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世界大百科事典内の大矢数の言及

【通し矢】より

…その後1606年(慶長11)正月,尾張藩士浅岡平兵衛が51本の通し矢を行ったことが記録に残っており,しだいに盛んになった。通し矢には大矢数,日矢数(小矢数),千射,百射などの種類があり,大矢数は夕方から翌日の夕方までの24時間,小矢数は日中または夜中12時間のうちに射通した矢数を競い,千射,百射はその限られた本数のうちの通し矢数を競う方法である。正保年間(1644‐48)以後江戸でも行われ,京都と呼応して盛んとなり,またこれにならって一夜にできるだけ多くの句を詠む行事も行われるようになった。…

※「大矢数」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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