下飯田村(読み)しもいいだむら

日本歴史地名大系 「下飯田村」の解説

下飯田村
しもいいだむら

[現在地名]浜松市飯田町

天竜川右岸、上飯田村の南に位置。東は天竜川を挟み鶴見つるみ輪中のうち西大塚にしおおつか村。中世は上飯田村とともにかば庄のうち飯田郷として推移した。松平忠頼領郷村帳では高二二一石余、田一一町二反余・畑二四町五反余。領主の変遷西にし村と同じ。延宝(一六七三―八一)頃の青山氏領分絵図では本田一三六石余・新田二三石余。同五年の浜松町村家数高間尺帳では家数三一、うち役家二一。寛延二年(一七四九)龍光りゆうこう村地先の井堰から用水を引いた(金原家文書)。文化二年(一八〇五)には当村地先で堰の新設工事が始まり、五年をかけて完成した。


下飯田村
しもいいだむら

[現在地名]甲府市下飯田一―四丁目・新田町しんでんちよう

上石田かみいしだ村の北にある。あら川東岸の山梨郡上飯田村とはもと一村だったといい、甲州道中分間延絵図によれば東岸にも上飯田村に接して家居が描かれ、西岸の家居を本郷としている。南は川が東流し、南西端を三四間にわたり甲州道中が通る(宿村大概帳)。慶長六年(一六〇一)検地帳(県立図書館蔵)に下飯田村とあり、田一九町五反余、うち麦田一町余、畑五町八反余、桑も作った。


下飯田村
しもいいだむら

[現在地名]戸塚区下飯田町

東は和泉いずみ村と八王子道で境し、南南東は上俣野かみまたの村、西南は高座こうざ今田いまだ(現藤沢市)、西は同郡七次ななつぎ村・千束せんぞく(現同市)といずれもさかい川で境し、北は上飯田村と接する。田圃は川に沿って北方に連続し、中央に富士塚ふじづかと称する小山がある。もとは上下一村で飯田郷を称していた。小田原衆所領役帳には川上藤兵衛「卅八貫弐百文 東郡下飯田」とある。

近世は天正一九年(一五九一)頃から旗本筧領。享保一〇年(一七二五)の東海道藤沢宿助郷帳(藤沢市史二)によると、藤沢宿の助郷高一七三石を勤めていたが、宝暦七年(一七五七)の水難のため休役を願出て、同一〇年一一月から五ヵ年間の休役となった。


下飯田村
しもいいだむら

[現在地名]小見川町下飯田・入会地いりあいち

布野ふの村の北東、利根川右岸に位置し、銚子道が通る。中世には岡飯田おかいいだにかけて森山もりやま城が築かれており、江戸時代初めにも森山の地名が用いられていた。「家忠日記」文禄二年(一五九三)八月六日条に森山とみえる。同四年とみられる未六月四日の伊奈忠次等連署手形(谷本家文書)には「森山おかいゝ田」とみえ、森山から江戸浅草まで柑子を運ぶための伝馬・人足負担が諸宿駅に命じられている。元禄一三年(一七〇〇)頃の下総国各村級分に村名がみえ、高八三七石余で旗本青山領。幕末まで変わらない。文政八年(一八二五)年貢皆済目録(星野家文書)では米八五三俵余のうち払米五三七俵余。


下飯田村
しもいいだむら

[現在地名]小鹿野町飯田

赤平あかびら川左岸の山間地に位置し、西は中飯田村、東は上小鹿野かみおがの村、南は赤平川を境にすすき(現両神村)、北は上吉田かみよしだ(現吉田町)。上小鹿野村からの往還が村内を横断し、中飯田村に向かう。元文五年(一七四〇)それまでの飯田村が上・中・下の三ヵ村に分立して成立した(「風土記稿」「郡村誌」など)。しかし郷村帳類では分村後も飯田村一村で高付されることが多かった。田園簿では飯田村として高五〇七石余・此永一〇一貫四一七文とある。天保郷帳では飯田村の高は四三八石余。飯田村は元文四年まで幕府領。同年、当村の村高一四〇石余のうち七七石余が旗本深津領となり、明和二年(一七六五)残余の高六四石余が旗本松平領となって、両者の相給で幕末に至ったと考えられる(「風土記稿」「郡村誌」「寛政重修諸家譜」など)


下飯田村
しもいいだむら

[現在地名]北区下飯田町・瑠璃光るりこう町・御成おなり通・たつくち町・幢旛どうばん

上飯田村の西南にある。寛文一一年(一六七一)の家数五八、人数四六二(寛文覚書)。「徇行記」によれば、田は七七町五反九畝弱、畑は一〇町四反余。概高一千五二〇石余のほとんどが藩士二七人の給知で、「南西田面ノ字ヲ南出・トヾメキ・一本松・森下・八幡出・二町田・縄手・木崎田・下ノ町・九反田ト云。


下飯田村
しもいいだむら

[現在地名]川辺町下飯田

飛騨川左岸、飯田川に沿った山間地帯に位置する。東と北は上飯田村(現八百津町)、南は信友のぶとも(現美濃加茂市)、西は福島ふくしま村。近世初めは幕府領、元和元年(一六一五)尾張藩領。慶長郷帳では高二六三石余。正保郷帳では田高一八〇石余・畑高八〇石余・山年貢二石余、ほかに畑方新開二五石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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