咸錫憲(読み)かんしゃくけん

百科事典マイペディア 「咸錫憲」の意味・わかりやすい解説

咸錫憲【かんしゃくけん】

韓国の思想家,宗教家。不屈の独立運動家であり,民主活動家。平安北道の生まれ。1919年,平壌高等普通学校に入学するが,三・一独立運動に参加,学校を追放される。1921年,五山学校に入り,1923年,東京高等師範学校に進学,1928年,同校を卒業して五山学校の教師となる。この間,東京で内村鑑三と出会い,大きな影響を受ける。五山学校で教えるかたわら朝鮮史の歴史教科書として,同人誌《聖書朝鮮》に《聖書的立場から見た朝鮮の歴史》(後に改訂加筆して《意味からみた韓国歴史》として刊行)を連載する。1938年,学校での日本語使用を拒否して教職を追われ,1942年,《聖書朝鮮》への弾圧で,一年間投獄される。解放後,平安道で宗教者として活動するが共産政権によって投獄され,朝鮮戦争の勃発釜山に脱出する。李承晩独裁から,朴正煕,全斗煥の軍事独裁時代を通して,一貫して非暴力民主主義を唱え民主化運動の先頭に立ち,〈魂の革命家〉と呼ばれ尊敬を集めた。聖書を中心に,東洋,西洋の思想,宗教の探究生涯にわたって続け,多くの著作を残した。《咸錫憲全集》(1993,全20卷)《咸錫憲著作集》(2009年,全30卷)がある。

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改訂新版 世界大百科事典 「咸錫憲」の意味・わかりやすい解説

咸錫憲 (かんしゃくけん)
Ham Soku-hǒn
生没年:1901-89

韓国の宗教家,思想家。平安北道出身。1928年東京高師卒業。在学中金教臣らと内村鑑三の聖書集会に出席。帰国後母校の五山学校で教師。解放後ソウルに移り,56年から《思想界誌上で本格的な評論活動を展開。70年にはみずから《シアレソリ(民の声)》誌を創刊(1980発禁)。苦難にある民衆視点から社会や教会のあり方を問い続け,韓国民衆運動のシンボル的な存在であった。著書として《死ぬまでこの歩みで》《人間革命》などがある。
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