唐瀬原(読み)からせばる

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「唐瀬原」の意味・わかりやすい解説

唐瀬原
からせばる

宮崎県中部,宮崎平野の一部で北部海岸地域にある洪積台地大部分川南町に属する。新第三紀層の砂岩泥岩の上に第四紀更新世洪積世)の礫層が載り,その上を下部火山灰層(黒にが,赤にが),上部火山灰層(黒ほや,赤ほや)が覆う。かつては軍用地として落下傘部隊訓練地に利用。第2次世界大戦後は開拓が進み畑作地となる。灌漑による水田耕作のほか,近年は畜産が発達。台地南部の宗麟原は,天正6(1578)年島津氏と大友氏が戦った古戦場

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「唐瀬原」の意味・わかりやすい解説

唐瀬原
からせばる

宮崎県中部臨海の川南町(かわみなみちょう)にあり、尾鈴山麓(おすずさんろく)に広がる洪積台地の一つ。地形的には隆起開析(かいせき)扇状地で、かつてこれを堆積(たいせき)した名貫川(なぬきがわ)は台地に深い谷を形成している。台地面は畑作、畜産が盛んで、多くの農家は第二次世界大戦後に開拓入植した。戦前は軍の軍馬補充部用地であった。一般に農家の経営規模は大きく、散村形式の村落である。

[横山淳一]

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世界大百科事典(旧版)内の唐瀬原の言及

【川南[町]】より

…近世を通じて高鍋藩秋月氏の支配下にあった。中央部を平田川が東流し,北に唐瀬原,南に国光原の台地が広がる。第2次世界大戦中までは落下傘部隊降下練習場,飛行場など軍用地が多くを占め,戦後に大規模な入植開拓が行われた。…

※「唐瀬原」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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