日本大百科全書(ニッポニカ) 「啖助」の意味・わかりやすい解説
啖助
たんじょ
(723―770)
中国、唐代の学者。字(あざな)は叔佐(しゅくさ)。趙(ちょう)州の人。天宝の末年、臨海尉(りんかいい)、丹陽(たんよう)県の主簿(しゅぼ)となる。任期が終わったのち、官職から退いて家にこもり、経学に専念した。とくに『春秋』の学を究め、左氏、公羊(くよう)、穀梁(こくりょう)の三家の短長を考え、その漏れ欠けたところを補って『春秋集伝』となし、またそのなかの大綱をとって『統例』とした。彼は左伝の解釈には誤りが多いとし、公・穀二伝を好んだ。高弟に趙匡(ちょうきょう)、陸質(りくしつ)(?―806、初名は淳(じゅん))がいる。著作は滅んで伝わらないが、陸質の『春秋集伝纂例(さんれい)』にうかがえる。
[疋田啓佑 2016年1月19日]
『武内義雄著『中国思想史』(1936・岩波全書)』▽『狩野直喜著『中国哲学史』(1953・岩波書店)』