《春秋》の解説書。子夏(しか)の門人の穀梁赤の作と伝えられるが,書物として成立したのは漢の初期のことである。《公羊伝(くようでん)》の語句や伝義を部分的に借用し,あい似た事件を問題にしながら,思想的には大きく隔たる。特筆すべきは心情倫理を否定すること。宋の襄公が泓(おう)の戦で〈人の厄を攻めなかった〉その君子の心情を認めず,敗れて多くの将兵を死傷させたのを,〈人君となりて其の師を棄つ〉と非難し,責任倫理の立場にたつ。また,礼を重んじ,大火の夜,婦人としての礼を守ったために焼死した伯姫をたたえはするが,礼よりも君命を優先させる。だから晋の士(しかい)が斉侯の死去を聞いて軍を返したのを礼にかなう善行と評価するものの,〈君命を専らにした〉かどで糾弾するのである。《穀梁伝》は秩序の原理が道徳を離れて法に移り,法家的傾向が強いせいか,《公羊伝》《左氏伝》ほどに学術思想界に重んぜられなかった。
執筆者:日原 利国
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…歴史的には前漢時代と清代後半とに行われたが,特に後者をさす場合が多い。春秋時代の魯国の歴史記録である《春秋》には,その解釈として《公羊伝》《穀梁伝(こくりようでん)》《左氏伝》の3伝があるが,前漢の武帝が董仲舒(とうちゆうじよ)らの献策をいれて儒学を政治原理として用い,博士官を設けて経学の伝授を行ったとき,先秦時代の古文経書ではなくて今文(前漢時代に通用していた隷書)で書かれた経書を教科書とした。また当時の経学は経術ともよばれて政治の実際と深く結びついており,ことに《春秋公羊伝》は天下統一の理念を強く示しているために重視され,漢代の春秋学は実際は公羊学を意味していた。…
…中国における五経の一つ《春秋》の三つの伝(釈義書),《公羊(くよう)伝》《穀梁(こくりよう)伝》《左氏伝》のこと。《春秋》には孔子の理念が託されているとの認識に立ち,その真義を解明しようとして,二つの方法が現れた。…
…孔子の死後は,西河(河北省)で弟子に教え,魏の文侯に仕えて学問的影響を与えた。その《詩経》に関する研究は荀子に受け継がれ,《春秋》の学は公羊高(くようこう)・穀梁赤(こくりようせき)に伝えられて《公羊伝》《穀梁伝》となったという。《儀礼(ぎらい)》の〈喪服伝〉は子夏の作とされ,《礼記(らいき)》の〈楽記篇〉には子夏と魏の文侯との問答の形で,音楽の政治的効用が説かれているが,いずれも彼の学派あるいは後学の徒のものであろう。…
※「穀梁伝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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