改訂新版 世界大百科事典 「趙匡」の意味・わかりやすい解説
趙匡 (ちょうきょう)
Zhào Kuāng
中国,唐代の経学者。生没年不詳。字は伯循。河東(山西省)出身。770年(大暦5)宣歙池観察使の属官であったとき,東隣の浙西節度使管区の丹陽に啖助(たんじよ)を訪ね,経義,とくに《春秋》の解釈について意見を交わし,共鳴するところが多かったという。趙匡が啖助を訪問したのはこの一度だけだったようであるが,彼は啖助の没後,彼の子啖異躬と弟子の陸淳とから啖助の遺稿の補訂を求められ,啖助の研究の不十分な点を補っているが,趙匡の業績は要するに《春秋》三伝の批判的研究の根拠を確立したことにある。啖助の研究が三伝の統一的解釈の樹立にあったのに対して,趙匡はそれまで《公羊(くよう)伝》《穀梁伝》に対して優利な地位にあった《左氏伝》の権威を《左氏伝》・左丘明批判によって失墜させ,これによって啖助の創(はじ)めた新解釈の意義を高めたのである。その意味で彼は啖助の学灯の継承者と認められている。
執筆者:稲葉 一郎
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