1930年代にアメリカ合衆国のF・D・ルーズベルト政権が、中南米諸国との友好関係を深めるためにとった政策。20世紀初頭以来、アメリカはカリブ海地域を中心に頻繁に武力介入するなど内政干渉を行い、中南米諸国から反感を買い、警戒されてきた。しかし1929年の大恐慌の勃発(ぼっぱつ)後、西半球を経済圏として確保する必要に迫られるなかで、アメリカは中南米諸国との関係改善のため従来の政策を転換することを余儀なくされた。
ルーズベルト政権は、33年第7回汎(はん)アメリカ会議でのラテンアメリカに対する内政干渉権の否認、ニカラグアからの撤兵、さらに34年プラット修正条項の廃棄によるキューバの本来の独立の承認など一連の政策によって中南米諸国との友好的関係を深めた。また経済面では、34年互恵通商協定法を制定して関税の相互引下げや最恵国待遇により通商の拡大を図るとともに、輸出入銀行を設立してクレジットの提供や財政、開発援助といった新たな積極的政策にも着手した。
これらの施策により、ラテンアメリカとの政治、経済関係は緊密となったが、さらに国際情勢が悪化するのに対応して、西半球の防衛に関しても中南米諸国との協力が指向された。36年ブエノス・アイレスで開かれた「平和のための米州特別会議」において、ルーズベルトは西半球の共同防衛の構想を提案。38年第8回汎アメリカ会議では、防衛面での結束をうたった共同宣言が採択され、米州外相会議が制度化された。実際に第二次世界大戦勃発後、39年パナマ会議、40年ハバナ会議でアメリカと中南米諸国との連帯は強化され、また大戦期を通じ(アルゼンチンを除き)、西半球の結束、協力が維持された。
一方ラテンアメリカにおけるナショナリズムの高揚に伴い、1938年メキシコ政府がアメリカ系石油会社の接収を宣言するなど困難な事態に直面したが、武力行使なしに解決が図られた。こうした善隣外交の成果をもとに、第二次大戦後も西半球における地域的協力の保持が構想され、48年米州機構の成立をみるに至った。
[新川健三郎]
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F.D.ローズヴェルト政権のラテンアメリカ諸国に対する介入と干渉を排した友好的政策をいう。すでに1920年代後半にこの政策の萌芽はみられたが,同政権下で本格的に始まった。34年キューバ内政干渉権を認めたプラット修正を廃止し,ハイチから海兵隊を引き揚げる一方,ラテンアメリカ諸国と互恵通商協定を結び,緊密な貿易関係の形成に努めた。
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