互恵通商協定(読み)ごけいつうしょうきょうてい(英語表記)reciprocal trade agreement

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

互恵通商協定
ごけいつうしょうきょうてい
reciprocal trade agreement

通商協定とは、協定国相互間の通商関係について準拠すべき条件を規定する協定であり、互恵通商協定とは、同じ事項については同様な待遇を互いに与え合うという互恵主義に基づく協定をいう。1930年代の世界恐慌後、多くの国で採用され、そのなかでとくに有名なのは、アメリカの互恵通商協定法Reciprocal Trade Agreement Actに基づいて結ばれた通商協定である。
 1929年恐慌に際して、アメリカでは翌1930年にホーリー‐スムート関税法Howley-Smoot Tariff Actを制定して保護関税を強化してきたが、1933年に大統領に就任したF・D・ルーズベルトは、ニューディール政策の一環として、1934年6月にホーリー‐スムート関税法に新しく1条(第350条)を加えた互恵通商協定法を制定した。この法律の目的は、当時のアメリカの不況を克服するための輸出拡大策にあった。この法律第350条a項前文の内容は、アメリカの商品輸出のために先方が市場開放をすると同時に、アメリカも自らの市場を外国商品のために開放するというものであった。
 この法律は、大統領に対して、諸外国政府と互恵的に関税を引き下げる権限(1934年7月時点の関税率を最大限50%まで引き下げることができる)、およびその他の貿易制限を緩やかにする通商協定を結ぶ権限を与えることにあった。期限は3年であったが、数回にわたって延長され、この法律のもとに、アメリカは1939年までに20か国と互恵通商協定を結んだ。この互恵通商協定法は、アメリカの貿易政策が、保護貿易主義から自由貿易主義に踏み出す基礎を与えたものとして各国から注目された。
 第二次世界大戦後、世界市場での指導権を確立したアメリカは、戦後世界貿易の基本原理として自由、多角、無差別原則を主張し、ガット(世界貿易機関=WTOの前身)を通じて貿易の自由化と関税の引下げを推進したが、このガットの原則の原型は互恵通商協定法にみいだすことができる。もっとも、アメリカにおける保護貿易と自由貿易の論争は戦後も続き、互恵通商協定法は1962年の通商拡大法の制定によって失効するまで、前後11回の改定をみた。1985年のプラザ合意以後、アメリカ、EU(ヨーロッパ連合)、日本の大手企業を中心にグローバル戦略が試みられている。輸出企業は従来の通商関係を踏まえて、海外での製造拠点から第三国向けの製品輸出を活性化させている。さらに製品市場、サービス商品市場が拡大し、世界経済のグローバル化が促進されているが、同時に大手企業間競争も激化している。したがって、通商拡大法は目的を果たしたと同時に、その後のウルグアイ・ラウンドの成立と世界貿易機関の設立によって、同法の実質的意義はアメリカにとってもさほど大きなものではなくなっている。だが、2008年9月15日に大手投資銀行リーマン・ブラザーズが経営破綻したことによるアメリカの金融大崩壊に対してオバマ政権は、自国の自動車・電機などの産業を保護するため、互恵通商の原則から離れる傾向をみせている。EU、中国、日本などはアメリカの保護主義的傾向に対して批判的である。2008年11月のG20(主要20か国・地域)では保護主義にはならず、互恵通商の理念に戻って協力体制をつくるべきであろうと申し合わせ、2009年4月のG20(第2回金融サミット)で国際通貨基金(IMF)の資金基準を3倍に増やすことを決めている。[清水嘉治]
『牧野裕著『冷戦の起源とアメリカの覇権』(1993・御茶の水書房) ▽西田勝喜著『GATT/WTO体制研究序説――アメリカ資本主義の論理と対外展開』(2002・文真堂)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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