四条隆謌(読み)しじょう・たかうた

朝日日本歴史人物事典 「四条隆謌」の解説

四条隆謌

没年:明治31.11.24(1898)
生年:文政11.9.9(1828.10.17)
幕末明治初期の公家,いわゆる七卿のひとり。陸軍軍人。公家四条隆生の子として京都に生まれる。開国後,尊王攘夷論者として朝廷権力拡大に尽くす。文久3(1863)年の8月18日の政変失脚,官位を奪われ,三条実美ら6人と共に長州(山口県)に下る。慶応3(1867)年の王政復古で復位し上京。翌年から始まる戊辰戦争では,仙台追討総督,奥羽追討平潟口総督を務めた。長州藩士木梨準一郎,鳥取藩士河田景与らを参謀として用い,仙台藩を降伏に追いこんだ。のち大阪,名古屋などの鎮台司令長官を歴任。明治14(1881)年陸軍中将に進む。<参考文献>大山柏『補訂戊辰役戦史』上下

(山村義照)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「四条隆謌」の意味・わかりやすい解説

四条隆謌
しじょうたかうた

[生]文政11(1828).9. 京都
[没]1898.11.23. 東京
幕末の尊攘派公卿。七卿の一人。父は隆生。文久三年八月十八日の政変で失脚して三条実美らと長州藩に逃れ (→七卿落 ) ,王政復古後復位し,戊辰戦争以後陸軍軍人として活躍。のち侯爵

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「四条隆謌」の解説

四条隆謌 しじょう-たかうた

1828-1898 幕末-明治時代の公家,軍人。
文政11年9月9日生まれ。文久3年国事寄人(よりゅうど)となり,攘夷(じょうい)決行主張。八月十八日の政変で三条実美(さねとみ)ら6卿と長州にのがれる。王政復古で復位し,戊辰(ぼしん)戦争では錦旗奉行,中国四国追討総督,仙台追討総督などを歴任。のち陸軍中将,元老院議官,侯爵となる。明治31年11月24日死去。71歳。

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367日誕生日大事典 「四条隆謌」の解説

四条 隆謌 (しじょう たかうた)

生年月日:1828年9月9日
江戸時代;明治時代の公卿;陸軍軍人。侯爵
1898年没

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世界大百科事典(旧版)内の四条隆謌の言及

【四条家】より

…藤原氏北家の流れ。家格は羽林家。大納言を先途とする。贈太政大臣藤原房前の子左大臣魚名の三男美作守末茂から出て,平安時代末の中御門中納言家成の男権大納言隆季を始祖とし,以後四条家と称した。家名は隆季が四条大宮に居を構えたのにちなみ大宮家とも称した。当家は包丁道の家として有名で,料理調進の作法を伝えているが,また笙(しよう)を家業ともした。隆季の子権大納言隆房は,鎌倉時代初頭の歌人として知られている。政治史的には南北朝期,南朝にあって活躍した四条隆資・隆俊父子や,北朝に仕えた四条隆蔭は有名。…

※「四条隆謌」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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