ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ユンケル」の意味・わかりやすい解説 ユンケルJuncker, Jean-Claude [生]1954.12.9. ルダンジュルクセンブルクの政治家。首相(在任 1995~2013),ヨーロッパ委員会委員長(在任 2014~ )。ルクセンブルク南部で育ち,ベルギーの寄宿学校で教育を受けた。1974年にキリスト教社会人民党 CSVに入党,翌 1975年フランスのストラスブール大学に入学,1979年に法学修士号を取得した。同 1979年,CSVの政務官に就任し,1982年に CSVのピエール・ベルナー首相のもとで初入閣を果たす。1984年代議院議員に当選,ジャック・サンテール率いる内閣で労働大臣,財務大臣を務め,世界銀行総務会の総務にも就任した。1990年,CSV総裁に選出され,1991年から 1992年にかけて,ヨーロッパ連合 EUの基本文書であるマーストリヒト条約起草に手腕を発揮した。1995年,サンテールのヨーロッパ委員会委員長就任に伴い,後任として首相の座についた。首相在任中,ルクセンブルク経済は活況を呈し,1人あたり国内総生産 GDPは世界最高水準を誇った。熱心な EU統合推進派であり,2005~13年にはユーロ圏財務相会合(ユーログループ)議長も務めた。2014年3月,ジョゼ・マヌエル・バローゾの後任としてヨーロッパ委員会委員長に選出された。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
朝日日本歴史人物事典 「ユンケル」の解説 ユンケル 没年:没年不詳(没年不詳) 生年:1828.7.28 明治期に来日したお雇い外国人。ドイツ人(のちイギリスに帰化)医師。ヨンケルともいう。ウィーン生まれ。ウィーン大卒。明治5(1872)年,創設直後の京都府療病院(京都府立医大)に赴任。解剖学を講じたが,ほかに病理学,外科学,精神医学におよんだ。小型の携帯麻酔器を考案,これは1940年代まで世界各地で用いられた。在任中6体の剖検を行う。9年,更迭され帰国し,在任約4年。日本人との協調を欠いたともいわれる。しかし日本文化に理解が深く『扶桑茶話』(1884)などを出版している。1899年までの生存はわかっているが,死亡年は不明。<参考文献>藤田俊夫「ヨンケルとショイベ」(『医学近代化と来日外国人』) (長門谷洋治) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「ユンケル」の解説 ユンケル Junker, August 1870-1944 ドイツの音楽家。1870年1月27日生まれ。ヨアヒムに師事してバイオリニストとしてデビュー。明治32年(1899)来日,45年まで東京音楽学校(現東京芸大)でバイオリンと管弦楽を指導した。昭和9年ふたたび来日,音楽教育にあたり,19年1月5日東京で死去。73歳。タッヘン出身。ケルン音楽院卒。 ユンケル Junker von Langegg, Ferdinand Adalbert(Edelbert) 1828-? ドイツの医師。1828年7月28日オーストリアのウィーン生まれ。ウィーン大にまなぶ。明治5年(1872)来日。京都府療病院で診療にあたるとともに解剖学,外科学,内科学,精神医学を講義した。専門は麻酔学で,小型吸入麻酔器を発明。9年帰国。のちイギリスにうつる。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例