日本歴史地名大系 「土呂部村」の解説
土呂部村
どろぶむら
近世はおおむね日光領。寛文六年(一六六六)日光領総検地により、畑・屋敷のみ反別二九町六反余、高六〇石余が確定したと思われる(「日光御領石高家数人別掃除丁場控」関根矢太郎文書)。なお元禄郷帳・天保郷帳ともに土呂部村の記載はなく、元禄一四年(一七〇一)の日光領目録(日光山御領知目録)では黒部村・土呂部村の二村が併記され、高九七石余とある。旧高旧領取調帳では独立村として記載され高六〇石余。一方、年貢割付状・皆済目録(神山弥一文書)などは、当村および黒部村のそれぞれに出されており、それぞれが独立村として扱われている。年貢は定免金納で、近世期を通して金六両一分余。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報