土塩村(読み)ひじしおむら

日本歴史地名大系 「土塩村」の解説

土塩村
ひじしおむら

[現在地名]松井田町土塩

上信国境より流れ出す九十九つくも川最上流部の村で、九十九川によって形成された河岸段丘および流入する小河川によって形成された谷地を中心として展開する。北は上増田かみますだ村、東南新井あらい村。せんヶ滝より落ちる九十九川が村の中央を東流し、川の南北集落があり、耕地も二分されている。縄文時代以降の遺跡も多く、小規模ながら古墳もあり、五料の高墓ごりようのこうはかを経て九十九川の谷に出る東山道が通ったと思われる。


土塩村
つちしおむら

[現在地名]糸魚川市土塩

坪野つぼの村の南東はや川の河岸段丘上にある。本村と早川対岸音坂おとさかの集落からなる。現地では「つっちよ」と発音する。北東に隣接する猿倉さるくら村を経て、とび峠越で木浦このうら川沿いに中尾なかお尾花おばな新戸あらと浜木浦はまこのうら(現西頸城郡能生町)へと通じる通称しお街道の入口村。当村から早川上流諸村へと道が通じる。天正一五年(一五八七)八月の経田永付帳(伴文書)に「土塩村」と記し、中世経田きようでん村のうち。貫高一八貫七六九文、米合計五六俵余。


土塩村
つちしおむら

[現在地名]滑川町土塩

和田わだ川の右岸に位置し、南は福田ふくだ村・山田やまた村、北は同川を隔てて男衾おぶすま野原のはら村・須賀広すがひろ(現江南町)。「埼玉県地名誌」によれば、「シオ」は楔形の谷の奥を意味し、地名は当地が和田川中流のV字状の奥にあることによるという。江戸時代には松山まつやま領に属した(風土記稿)。田園簿では田高一二〇石余・畑高五四石余、旗本逸見領などの四給。国立史料館本元禄郷帳では旗本安藤領などの三給。「風土記稿」成立時には安藤領などの四給。文政八年(一八二五)の比企郡村名石高帳(高柳家文書)によれば高二三六石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android