日本大百科全書(ニッポニカ) 「土御門泰福」の意味・わかりやすい解説
土御門泰福
つちみかどやすとみ
(1655―1717)
江戸前期の陰陽(おんみょう)家。安倍晴明(あべのせいめい)の裔(えい)。1680年(延宝8)兵部少輔(ひょうぶのしょう)、1682年(天和2)陰陽頭(かみ)を歴任、翌年5月綸旨(りんじ)をもって日本諸州陰陽生総管となる。一方、1684年(貞享1)渋川春海が上表して改暦を請うや、春海と京都梅小路の天文台で実測に従事し、同年10月上奏して「貞享暦(じょうきょうれき)」と名を賜る。陰陽道に山崎闇斎(あんさい)の垂加神道(すいかしんとう)を取り入れて土御門神道(安倍神道または天社神道ともいう)を樹立した。63歳で没。墓碑は京都市左京区真如(しんにょ)堂に現存する。
[渡辺敏夫]