デジタル大辞泉
「土御門神道」の意味・読み・例文・類語
つちみかど‐しんとう〔‐シンタウ〕【土▽御門神道】
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つちみかど‐しんとう‥シンタウ【土御門神道】
- 〘 名詞 〙 江戸初期に出た垂加神道の一派。日月干支の運行を考え、相生相剋の道理を推して、吉凶を定めるという垂加流と伊勢流の神道説を羽翼として立てた陰陽道による神道。土御門泰福(やすとみ)が祖父泰重からの相伝によって元祿(一六八八‐一七〇四)頃に創唱し、弟子渋川春海によって大成された。明治維新に廃絶。第二次大戦後、天社土御門神道として再興。安倍(あべ)神道。安家(あんけ)神道。天赦(てんしゃ)神道。つちみかど。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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土御門神道
つちみかどしんとう
神道説の一つ。平安中期の陰陽道(おんみょうどう)の大家安倍晴明(あべのせいめい)の子孫は代々陰陽頭として朝廷に仕え、室町時代の有修(ありなが)のときより、家名を土御門と称した。その門流は、陰陽道と神道とを習合した独自の信仰と行事とを伝承し、天文、暦数から卜筮(ぼくぜい)、占星、祓禊(ふっけい)、咒禁(じゅごん)、方忌(かたいみ)などの諸方面にわたって、道の最高権威として朝野に勢力を有したが、それが土御門神道あるいは安家(あんけ)神道、安倍神道、天社神道とよばれるのは、江戸時代に土御門泰福(やすとみ)が出てからである。泰福は、1680年(延宝8)山崎闇斎(あんさい)に入門して垂加(すいか)神道を学び、仏教色を排除し、高弟渋川春海(はるみ)(安井算哲(やすいさんてつ))の援助を得て、家伝を神道として整理・大成し、朝廷の職掌にあずかった誇りを踏まえて、独自の意義を主張しようとした。
[谷 省吾]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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土御門神道
つちみかどしんとう
江戸初期,土御門泰福 (やすとみ) が創始した神道説
安倍神道・安家 (あんげ) 神道ともいう。もと安倍氏と称し陰陽道を主管していた土御門家が,江戸時代初め,その宗教性を強化するため神道の行事をとり入れ,神道の一派を形成した。教義は垂加神道をとり入れ体系化されている。
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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