日本大百科全書(ニッポニカ) 「地下出版」の意味・わかりやすい解説
地下出版
ちかしゅっぱん
underground press
非合法または秘密の反体制的な出版。アングラ出版ともいう。もともとは政治体制からの追及を逃れて「地下」で出版される雑誌・図書類の総称だが、ツァーの下での『プラウダ』紙の前身、ナチス占領下のフランス・レジスタンスの出版物など、多くの国で事例がみられる。日本でも明治期自由民権運動家によるサンフランシスコから日本へのガリ版新聞の発送、第二次世界大戦前の『赤旗(せっき)』紙や石垣綾子(あやこ)、岡野進(野坂参三)らによってアメリカから日本へ運ばれた反戦小冊子など、列挙にこと欠かない。昭和になってアメリカで日本人の反戦グループによってひそかに印刷された小冊子、ちらしは船員に託されて日本に運ばれ、全国各地の郵便ポストから投函(とうかん)されて国内の読者に届けられた。1935年(昭和10)から39年までの5年間に400種類、30万部の印刷物がアメリカから日本各地に持ち込まれたという。
戦後は、旧ソ連、ポーランド、旧チェコスロバキアなどの反体制知識人による硬直した社会主義体制批判の地下文書が知られる。ソ連でサミズダート(自己出版)が出回ったり、チェコでの「二千語宣言」(1968)のような形で表へ出たりする。また、『ソリダルノスチ』(1981年のポーランドのストライキ委員会機関紙)のような形をとることもある。ソルジェニツィンの『ガン病棟』などがひそかに手で写されたりすれば一種の地下出版である。ハンガリー動乱での自由ミシュコルツ放送(1956)、中国での大字報(壁新聞)など、政治的支配が厳しいなかでは形式も創意を必要とする。
アメリカでのいわゆるアングラ出版は、多分に比喩(ひゆ)的である。1966年にサンフランシスコの『オラクル』など5誌がアングラ誌シンジケートを結成したころが絶頂で、各国から200誌以上が加入した。しかし、これらベトナム反戦からヒッピー(反戦主義的な若者グループ)に至る「もう一つの文化」を担った雑誌の大半は消えた。その後の「もっとも危険な雑誌」を自称する『ハイタイムス』は、マリファナ、LSDなどの文化を担う形になった。体制としてのアメリカ文化からは危険視されて自ら「地下」へ潜ったのである。しかし、時代の変化とともに、あるものは、商業ジャーナリズムの一角に組み込まれ、他のものは消えた。地下出版は体制がある限り、その反対物のメディアとして、あらゆる時代、あらゆる国に存在する。
[田村紀雄]
『田村紀雄著『ミニコミ 地域情報の担い手たち』(日経新書)』▽『田村紀雄著『アメリカのタウン誌』(1981・河出書房新社)』